つて居らぬ。顧野王がいろ/\古い本を引いて註釋してある所だけは削つてありますが、字の音と字の解釋とは顧野王の玉篇其の儘にしてあります。是は此の本の特色であります。それでこの篆隸萬象名義と云ふものを見ると、日本にある玉篇の原本に缺けて居る分、即ち足りない分を、八分以上も補ふことが出來るのでありますから、此の篆隸萬象名義と云ふものは、非常に大切な本であります。支那人は恐らく楊守敬だけしか持つて居りますまいが、之を見たいと云ふ人は澤山あります。さう云ふやうに世の中に傳はつて居らぬ本であつて、容易に支那人は見ることが出來ぬ。幸ひに日本に傳はつて居るのであつて、六朝の時の字引の姿を其の儘見ることが出來ると云ふことを喜んで居るのであります。斯う云ふものでありますから、私は其の專門の研究者でもありませぬが、今から十年ほど前に此の本を寫して持つて居ります。それで實は弘法大師全集の出來ます時には、定めし斯う云ふ貴重な本は全部出版されることゝ存じて、樂しみにして居りました。所が出來ました弘法大師全集を見ると、是は大變むづかしい本である。殊に是れに書いてある篆書などを一々入れると云ふことは手數であるから、一部分だけ寫眞石版で體裁を見せて置くと云つて、三四枚載せてあります。さう云ふ風にして此の重大な貴重な本は全部逐つ拂ひと云ふことになつて居ります。是に就ては私は弘法大師全集を編輯された方に對して、滿腔の不滿足を申上げようと思ふのであります。全集に三四枚だけ出て居りますけれども、此の六册の本の中から是れだけ拔いて出して、唯だ體裁だけ分つた所で、是は何の役にも立たぬのであります。是は今更取返しの附かぬことでありますけれども、弘法大師全集を出版される程の熱心があり、弘法大師の文藝上の功績を傳へるだけの御熱心があることでありますならば、高山寺本の原本に就いて、もう一度出版を企てられんことを希望するのであります。是は日本の文學の研究とか云ふやうな、小さい問題ではなくして、東洋の文明に就いて、或る時代、何百年と云ふ間の代表になつて居る字引を立派に保存してあるのでありますから、是はもう一遍出版せられるとしても、非常に重大な必要のあることで、さう云ふことが出來ましたならば、嘸ぞ大師も地下で瞑目せられることであらうと思ひます。是は餘計な話でありますけれども、此の出版者も仰つしやる通りに、此本に篆書があります
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