立大に誤る、是は大錯中の大錯なりといひ、玄弉の立の事、此師大概よし、是又天台と肩を並ぶる目のあきたる人也といひ、天台慈恩は佛法の大綱を半合點半不合點、達磨不空は一向不合點なり、南山法藏吉藏はねから不知して綱目を大綱かと思ひし者なり曇鸞、道綽、善導は一向に不分明なりといひ、天親以來正見なく皆是生死の人と見え申候といひ、眼千古を曠しうせる人なれば、かゝる口傳を説くも、必ずしも空言にあらず。又
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新羅より出る書容易に看過すべからず……中國の人夷情を得ぬが故に此を知らず予日本に生して夷情を得たり中國の人情は海の如し新羅高麗の人情は海と川との堺ひ目の如し日本の人情は川の如し此は且く佛書を云若し俗書は不[#レ]爾甚だ野鄙なり本と文なき邦なるが故に佛書は理の甚深を云故に一奇特の文體をなす者なり
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といふが如き、國民性により著述の特色あるを看破せる者にて、別に一隻眼を具するに非れば能し難き所なり。
此書の如き寥々たる短篇中に、其の鋭利なる批評の閃めきを見せること、此書の如きは邦人著述中、有數のものにして、別に何等の組織的思想なくとも、以て珍とするに足るべきに、其の目録學の根柢を有し、確乎たる法式によりて批判せること、上の如くなれば、余は之を讀書人に推薦して其の一讀を勸めんと欲す。
書中に又
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書を多く聚るを人中の賢者とすべし
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といひ、聚書讀書の利益を説きたるは、和上自身が數萬卷の藏書を有せしにもよるべけれども、其の讀書が一貫せる批評眼によりて要約され、徒らに博洽を誇りしにあらざることを知るに及びて益々其の貴さを加ふべし。
余は已に數年前に於て、此書の原刻本を獲たるが、本年二月、大阪の某書肆の目録に、復た此書を載するを見、大阪に此書の眞價を解する讀書人ありや否やを徴せんが爲に、試みに再び之を注文して、其の存否を驗せしに、日ならずして再び此書の第二本を獲たり。僅かに參圓五拾錢を費して、大阪二百萬市民の讀書眼を試驗し得たるは、豈に廉價至極ならずや。呵呵
附記 敬首和上の傳は淨土宗全書第十卷、略傳集中に在り就て見るべし。
[#地から1字上げ](大正十五年十月「典籍の研究」第五號)
底本:「内藤湖南全集 第十二巻」筑摩書房
1970(昭和45)年6月25日発行
1976(昭
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