それはどういふことかと申しますと、王安石といふ人が青苗錢といふ法を行つた。これは簡單に申しますと、米を植ゑ付ける前、苗の時に人民に金を貸付けて、收入のあつた時に利息を附けて返還させる法であります。これが善い法であつた筈であるのに、結果が惡かつたのでありますが、それが大變面白いと思ひます。平民に金を貸付けて平民が利息を納めるといふのは、平民の土地の所有を認めて居ると同じこと、それによつて政府が平民の土地所有を認めて居つたのであります。それも詳しく申さなければ十分に分りませぬが、先づ簡單にいへばさうであります
 それからその次は勞働の自由であります。これも王安石の時に定まりました。それは唐代の支那の勞働に關する政治といふものは、日本にもありました租庸調の法といふのがあります。租は地租であります、調といふのは織物などを納める税であります。その中に庸といふのが勞役を政府に對して供給する義務であります。即ち一年に幾日か必ず政府の勞役に服さなければならぬ。勞役といふものはつまり人民の義務であつて、政府から命令されると拒むことを得ないものでありましたが、王安石は之を代へて雇役といふものにしました。さ
前へ 次へ
全36ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング