ぬ。しかしながら又よく考へて見ますと、參政權といふやうなこと、即ち參政が權利化して、實際これが法律に纏つて出來上つて居ることが、必ずしも近代に是非なければならぬ條件ではない。參政權がなくても事實平民の發展する時代がある。それは殊に支那の如きがさうであつて、時としては平民發展時代が即ち君主專制時代であります。君主專制時代がなぜ平民發展時代かといふことは、これは今日のやうに政治のことは何でも西洋流にして考へる方からいへばをかしなことでありますけれども、支那では平民發展時代が即ち君主專制時代である。それはどういふわけかと申しますと、平民發展時代の前は貴族の時代――貴族の時代と申しますのは、これは君主といふやうな一元の貴族が世の中を横領して居るのではなくして、多數の貴族が政權に參與して居る時代であります。それが近代といふものになりますとそれが無くなります。それで貴族の盛であつた六朝から唐あたりの時代は、平民が貴族の爲に壓迫されたと申しますか、兎に角政治上の權力を貴族に專有されて、平民が何等のそこに權力もなかつたと同樣に、君主も同樣に貴族に對して實際の權力がないのであります。それで君主と平民といふものは同じやうな事情に置かれてあつた。それで貴族時代が崩れて、さうして君主も貴族から解放されます、平民も貴族から解放される。丁度平民が解放された時代が即ち君主も解放されて、さうして君主が政權を專有して居りましたが、それに支配されるものは平民で、その間の貴族といふ階級が取れましたから、それで君主專制時代が即ち平民發展時代になります。これは實は斯う抽象的に言つたばかりではお分りになりにくいと思ひますけれども、極く簡單に申上げますればさう申上げるより仕方がない。その内容を詳しくいふことになりますれば、これは支那の近代史を本當にやらぬと駄目で、僅かの時間では盡す事が出來ませぬ。
 夫に就て極く簡單に、どういふ風に君主專制時代が平民發展時代になつたかといふことを例を擧げて申上げる。それが著しく支那に見えて來ましたのが、宋の時代に王安石といふ人が新法を行ひまして、歴史家の書いた所ではそれが非常に惡法で、その爲に宋の國が弱つたといふやうなことを言つて居りますが、併し今日から王安石が新法を執り行つた時代を見ますと、新法の施行に依つて我々ははつきりと平民が政治上に實際の權利を占めて來る樣子が分ります。それはどういふことかと申しますと、王安石といふ人が青苗錢といふ法を行つた。これは簡單に申しますと、米を植ゑ付ける前、苗の時に人民に金を貸付けて、收入のあつた時に利息を附けて返還させる法であります。これが善い法であつた筈であるのに、結果が惡かつたのでありますが、それが大變面白いと思ひます。平民に金を貸付けて平民が利息を納めるといふのは、平民の土地の所有を認めて居ると同じこと、それによつて政府が平民の土地所有を認めて居つたのであります。それも詳しく申さなければ十分に分りませぬが、先づ簡單にいへばさうであります
 それからその次は勞働の自由であります。これも王安石の時に定まりました。それは唐代の支那の勞働に關する政治といふものは、日本にもありました租庸調の法といふのがあります。租は地租であります、調といふのは織物などを納める税であります。その中に庸といふのが勞役を政府に對して供給する義務であります。即ち一年に幾日か必ず政府の勞役に服さなければならぬ。勞役といふものはつまり人民の義務であつて、政府から命令されると拒むことを得ないものでありましたが、王安石は之を代へて雇役といふものにしました。さうなりますと政府がどれだけの賃銀をやるから勞働の募集に應じないかといふことにしまして、さうしてそれに對して人民は賃銀を貰つて働くまでゞ、人民が勞働したくないものは應じない、勞役したい者が應じて賃金を貰ふのでありますから、これは勞働の義務でなくして勞働が人民の權利になつて自由になつて居ります、即ち勞働の權利を人民に認めて居ります。
 それから商工業の生産品の自由を大體宋代に認めて居ります。それには和買といつて、人民と政府と相談づくで人民の持つて居る物を買ひ上げるといふことがあります。これは王安石以前からある法でありますが、政府から春に錢を人民に貸して置いて、夏秋に至つて其代りに絹を官に出さすのでありますが、これは名義は合意でありますけれども、其後になつては官より無理にやらすことになつて、一種の弊政となつたのは實際であります。けれども制度の立て方は、人民の持つて居る物を政府が合意の上に買上げるといふことでありました。王安石は更に市易といふものを考へた、田地絹物などを抵當として政府から約二割の利で金を借る法であります。それらは皆人民の物品の所有權が確定されたやうなものであります。
 それから
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