が、さういふことは日本のやうな交通不便な國は出來るが、支那のやうな交通便利の國はそれが出來にくい。生産上、地方の最も便利な處、最も特別な重要な特産物を持つて居る地方にはかなはない。それで支那には地方によつて特産物が盛に起りました。織物でいふと蘇州、杭州とか、南京とかいふものに、何處の織物が競爭しても勝つ事が出來ない。交通が便利であると、商談が發達する爲に、僅少の運賃で特産物を各地に送ることが出來ますから、遠方の地方などで織物を獎勵しようとしても、迚もその特産地と競爭して獎勵しきれぬ。さういふやうに、支那では地方の特産物が發達しました。それから又一方には、さういふ便利がある爲に、食物でも、着物でも、建築材料でも、何でも近いものを尚ばずに、遠方のものを尚ぶといふことが出來て來ました。支那人がよく申します遠物を貴ぶといふことになりました。それは支那は國が廣いのと、交通の便利なのと、海外交通まで便利な結果出來るのであります。それが五であります。

          五

 この五つの要素がつまり近代の支那の文化生活の要素であります。極くあらく申しましたからお分りにくいでありませうけれども、これで衣食住より、政治、道徳、趣味等の社會的事情にも及ぼして、大體支那人の近代的生活は如何なるものかといふことを申したつもりであります。それで支那人はこれ等の事情に共通する所のものから、自分の生活に對してどういふことを最も要求するかと申しますと、生活の安定して居ること、それから生活にいろ/\な複雜な趣味があつて魅惑的であるといふことを要求します。それから自分の生活が外の國より優越して居ることも要求します。さういふことが支那の近代生活の特色といつて宜いのであります。
 さういふ風に申しますと、直ぐ日本の少し學問などを研究した人は、それが支那の國民性かと直ぐいはれます。それは私は保證しませぬ。國民性といふことゝ、それから時代相といふことを區別するのは大變困難です。日本は今の所、支那と大分生活の方式が違つて居りますが、日本も四千年になつたら支那と同じやうになるかも知れない。さうして見ると、支那の國民性と思つて居つたことは何百年、何千年の後になると日本にも出來る。そんなことは今日から容易に定められない。近頃の研究家は、動もすれば支那の國民性といふことを言ひたがりますが、私はその方は安請合をしない
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