に至つて居らぬと思ひます。ヨーロッパ人は隨分以前は方々の新發見地を漁つて歩いた時代は、毛皮にする動物などを獲て、大變珍重もし、又よい收入でありましたが、皆毛皮をそこら中の地方の森林から取り盡して、一向保存するといふことを考へる遑がなかつた。それで近頃では仕方がないから、緬羊といふやうな家畜を養つて、家畜から取つた毛で拵へた着物を着て、それで毛皮の眞似事をしたのでありますが、どつちかといふと人間が織つた毛織物よりも遙に立派な毛皮を着る生活を、もう一遍やらうといふことを考へて居らぬ。支那人はそれを考へて居つた。近頃は支那人も滿洲の森林を伐倒して、もう何年か經つたら滿洲に森林がなくなつてしまう、斯ういふ天然の貴重な植物も動物も絶えてしまう。日本人はさういふことは一向御存じないから、この新しい支那人の方鍼を手傳ふことを文化の開發と心得て居る。文化の淺い國は天然保存は考へない。そこは從來の支那人は古い文化を有つて居ただけに、天然保存をよく考へて居つた。これが支那の近代生活の一つの重要なことであります。
第四 は歴史の方から來たことであります。歴史の方から來て古代の物を愛翫するといふ傾が出て來ました。支那でも唐以前は、古代の發掘品といふものを生活要素に取入れることをあまりしなかつた。漢時代には、發掘物の中から銅器が出て來ると、それが符瑞即ち目出度いことであるといふ意味に解釋しました。學問上の參考には多少しましたが、發掘してきた物を趣味の對象として考へることは先づなかつたといつて宜い。それがだん/″\隋唐の頃から學問的に發掘物を利用することになりました。これも證據がありまして、隋の時に出て來た秦の始皇が使つた衡の分銅、即ち權が出て來た時に、その中に刻つてある文字で歴史の文字の誤を正すといふことをやつたことがあつた。これは顏之推といふ人の顏氏家訓といふ書に見えて居ります。これを宋代以後には趣味的に應用することになる。考古圖、博古圖といふやうな本が皆古銅器の發掘品を編纂したものでありますが、それは學問的の意味もありますが、趣味の意味が非常に進んで居りまして、その時分は學問と趣味と兩方から古代の器を見るやうになつた。その後明朝時代になると、だん/″\古器物が生活要素になります。さうして書籍などでも、古い時代の寫本とか板本とかに、教養のある人が大變魅惑されるやうになつて來た。明末に錢謙
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