斯んなことをすると國が亡びると誰かゞいつたが、果して金に亡ぼされて一時野原になつたのでありますが、それと同じに、金とか元とかいふ民族の、野原に育つて來た生活が支那に注ぎ込まれて來た。その生活はその連中からいへば原始生活の森林の中から出て來るものでありますから、何でもないのでありまして、自分等は自分等の生活をその儘支那に持つて來てやるのであります。近代の清朝も同じことであります。併しながらそれは支那人から見れば復古的に原始生活に還ることになつて來て居ります。それで其生活の要素として、天然保存といふことに就て、動物の保存が出て來る、或は藥物など土地の名物の保存が出て來ます。それから動物の保存の爲に森林を保存することが出て來ます。これは餘程面白いと思ふ。動物の保存といふことはどういふことかと申しますと、昔は支那人は孔子樣なども裘即ち皮衣を着ましたが、漢代以後織物の發達から皮衣の用途がだん/″\薄らいで來て居つたのであります。それが野蠻民族の這入つて來た爲に、皮衣を着ることが大變高貴な生活といふことになりました。近代の清朝などもさうでありまして、官服として貂の皮を着ることがある。貂の皮が官服といふことになると貂を保存しなければならぬ。貂の保存をする爲に滿洲邊りの森林を保存しなければならぬ。蒙古とか滿洲人などは野蠻民族で、弓矢が長所であります。それが爲に矢が必要、矢には羽根が必要、それで鷹の羽根が大變必要であつた。その鷹の羽根を保存する爲にも亦滿洲邊りの森林を保存しなければならぬ。それで森林保存といふことが出來た。それから植物でありますが、昔から支那に人參といふ藥がありますが、今の山西地方には上黨人參といふ野生の人參が出たのでありますが、今ではだん/″\滿洲の奧の方に行かなければ野生人參はなくなつた。この天然人參を保存する爲に滿洲では森林を保存しなければならぬ。さういふいろ/\のことで森林を保存することになりました。これは滿洲人とか蒙古人といへば野蠻であるやうでありますが、支那人からいへば、一旦支那の國では人工を盡してしまつたので、反動的に天然生活の必要を感じて、或地方に天然を保存することを考へなければならぬやうになつて來たのでありますから、これは一遍極端な人工的のことをした上の保存であつて、復古的の天然保存の必要といふことを支那人が考へるやうになつた。ヨーロッパ人はまだそこ
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