上重なつて居ります。史蹟と申しましても非常に厄介でありまして、同一の地に幾つもの事が重なつて居る。それで神社なども自然さういふ風になつて居ります。けれどもそれが又近畿地方の神社を研究するに就て最も興味の多い所であらうと思ふ。
 それに就てつい此の附近の事に關して偶然色々思ひ付た事があります。今京都の附近で立派な神社と申しますと、先づ加茂であります。併し加茂の神社の存在して居る地方に於て、昔から加茂の神社があの通りの大きさ、あの通りの盛んさであつたかどうかと考へますと、餘程それは疑問なのでありまして、加茂の縁起などを見ますと、あの川の處が昔から清らかであつて、加茂の神樣の娘さんが洗濯して居つたか、遊んで居つたか、其の時に、丹塗の矢が流れて來て、それに感じて子を産んだとか、其の子が屋根を破つて飛んで行つて松尾神社になつたとか、色々面白い話があつて、初めからあの近邊が加茂の神社で以て占領して居つたやうに考へられますが、能く調べて見ますと必ずしもさうではなさゝうであります。下加茂の境内といつて宜しい所に小さい柊神社といふものがあります。それは延喜式の神名帳などで見ますと「出雲|井於《ゐのうへ》
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