ことは難しいのでありますが、唯さういふ問題を一つ提供して見たいと思ひます。
 日本で一番崇高の神樣と申しますと天照大神であります。是は延喜式には單に伊勢國度會郡の處に大神宮としてあつて天照とも何とも書いてありませぬ。ところで「天照」といふ二字を冠つた神社が割合に近畿地方に多數ある。それが大神宮と果して關係のあるものか無いものかといふことを、人が是まで考へたことがあるかどうかといふことが第一疑問であります。山城の國から申しますと、つい近い處に木島坐天照御魂神社即ち木島明神といふのがある。此の神樣はなか/\粹な神樣でありまして、日本に遊仙窟と稱する、今日出版したら風俗壞亂で禁止されるやうな支那から早く渡りました有名な本がありますが、嵯峨天皇の時かに其の本が來たが、どう訓點を付けて宜いか讀めなかつた時に、此の木島明神が老人になつて顯はれて其の讀方を伊時といふ學士に教へた。それで遊仙窟の訓點が出來たのだといふ傳説がある位でありまして、なか/\隅に置けない神樣であります。それから大和國には類似の神が二つもあります。城上郡に他田坐天照御魂神社といふのがあります。それから城下郡に鏡作坐天照御魂神社といふのがある。それから河内國の今は何處になりますか昔の高安郡に天照大神高座神社と稱するものがあります。それから攝津の國の島下郡に新屋坐天照御魂神社、それから丹波の國天田郡に天照玉命神社といふものがあります。それから播磨國の揖保郡に揖保坐天照神社、斯ういふのがあります。大體是だけであります。まだ併し類似のが他所にも天照神社といふのがありますが、まあ是だけで話して見ようと思ひます。是は一體どういふ神樣を祀つて居るかといふことは分らないのでありまして、一方を片付けようとすると一方に差支が出來る。それが又天照大神と全く關係があるのか無いのか餘程分り惡い神樣であります。皆是が能く分ると色々又古代史の説明に多少何か理窟が付けられるかも知れぬと思ふのでありますが、私にはそこまで到りかねます。たゞさういふものに注意することが出來ることだけを申して置きたいと思ひます。栗田博士の神祇志料、神祇志を書く前に之を書かれて、其の上で研究されて神祇志を書かれたのでありますが、栗田博士は之を割合に簡便に片付けて居ります。それは此の中で河内の高安郡の天照大神高座神社だけは天照大神高御産巣日命を祭るとしてありますが、其の外は皆天火明命を祀つて居るのだと片付けてしまつた。舊事本記に據りますと火明命の名は天照國照天火明命とあるので、總て之で片付けてしまつた。そして總て此の近畿地方に昔榮えて居つた氏の中の最も大きな氏は尾張氏であります。尾張國には天照御魂神社といふものはありませぬけれども眞墨田神社といふものは矢張り天火明命を祀つたのである。近畿地方の此の神社は皆尾張氏或は尾張氏と同じ系統の家の祖神であると決めてしまひました。栗田博士には色々發明の説があります。たとへば舊事記に尾張氏と物部氏の元祖の系圖のことが出て居りまして、古代のことを研究するに有益なものでありますが、それが色々混雜して居るといふことを栗田博士は考へられて、尾張氏と物部氏の系圖を引分けました。それが良いか惡いか疑問でありますが、巧く本の中で分けた。尾張氏といふのは天火明命の末孫、物部氏は饒速日命の末孫とした。舊事記の方はそれが一つになつてしまつて、尾張氏も物部氏も同じ神から出たことになつて居るのを、栗田さんは巧く分けて、天火明命の末孫は尾張氏、饒速日命の末孫は物部氏と分けた、非常な手際であります。上古史は手際さへよくやれば大抵の事は片付く、手際よくやつた者は大抵勝つに決つて居る。そこで此天照御魂も手際よくやらうと思ふのでありますが、私の學問では出來ませぬ。餘り手際よく行きますと却つてそこらぢう差合が出來ます。それで片つ端から一とわたり當つて見ますと、木島明神、是は何も大したことはありませぬ。是は從來の説では唯天日神命で高産靈の子であるといふことになつて居ります。栗田さんは天照御魂といふものを、全體今の天火明命と決めようといふことで此の説を採らずに火明命と決めたらしいのであります。併し又土地の傳説に依りますと矢張り是は天照大神を祀つたのだというて居る人もあるやうであります。それから其の次の大和の城上郡の他田坐天照御魂神、是は伴信友は志貴連の祖神天照饒速日命だとして居ります。其の次の鏡作坐天照御魂神社といふのが昔からの説では天火明命だといふ説があります。そして又饒速日命の末孫が鏡作氏になつて居るので、そこは栗田さんの説と違つて來まして、鏡作といふものが饒速日の末孫であるとすれば、それは栗田さんのやうに尾張氏と物部氏とをはつきり分けた説が少し怪しくなつて來ます。兎に角鏡作が之を祀つて居つたことがあるといふことになつて居ります
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