はれ、主として彩色を主としたが、盛唐の頃から白描水墨の新派が盛んになつたけれども、唐代を通じては新派が舊派を壓倒する譯には行かなかつた。然るに五代から宋にかけて、壁畫が漸次屏障畫と變じて、金碧の山水は衰へ、墨繪が益々發達した。五代を中心として、以前の畫は、大體は傳統的の風格を重んじ、畫は事件の説明として意味あるものにすぎざりしが、新らしき水墨畫は、自己の意志を表現する自由な方法をとり、從來貴族の道具として、宏壯なる建築物の裝飾として用ゐられたものが、卷軸が盛んに行はれる事となり、庶民的といふ譯ではないが、平民より出身した官吏が、流寓する中にも、これを携帶して樂しむ事が出來る種類のものに變化した。
音樂も唐代は舞樂が主で、即ち音を主として、それに舞の動作を附屬さしたもので、樂律も形式的であり、動作に物眞似などの意味は少くして、ことに貴族的な儀式に相應せるものなりしが、宋以後、雜劇の流行につれて、物眞似の如き卑近の藝術が盛んになり、其動作も比較的複雜になつて、品位に於ては古代の音樂より下れるも、單純に低級な平民の趣味にあふ樣に變化した。其尤も著しき發達を表はしたのは南宋時代である。
以上の如く、唐と宋との時代に於て、あらゆる文化的生活が變化を來したので、此他にも微細に個人的生活を觀察すると、其何れもの點に、此時代に於ける變化の表れたことを認むるが、今はかくの如き微細の點を述べる事は避ける。
要するに支那に於ける中世・近世の一大轉換の時期が、唐宋の間にある事は、歴史を讀むものゝ尤も注意すべき所である。
[#地から1字上げ](大正十一年五月發行「歴史と地理」第九卷第五號)
底本:「内藤湖南全集 第八卷」筑摩書房
1969(昭和44)年8月20日発行
1976(昭和51)10月10日第2刷
底本の親本:「東洋文化史研究」弘文堂
1936(昭和11)年4月発行
初出:「歴史と地理」
1922(大正11)年5月発行、第九巻第五号
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
2001年1月27日公開
2006年1月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られま
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング