ますが、兼良は其人さへよければいゝといふやうな頗る曖昧な事を言つてお茶を濁して居ります。是は當時義政の御臺所が大分政令に干與していろ/\な事をし、應仁の亂も實は義政の御臺所が根本であると言はれる位に勢力のあるものであつたからして、其勢力に迎合してさういふことを書いたのではないかと思はれるのであります。さういふ點は此人の最も詰らない點であります。其他何れも舊來の習慣を維持する議論で、何にも新しい議論を考へて居りませぬ。其點になると南北朝時代の北畠親房などは、當時の政治に關して古今の史實を參考して、立派に批評し、且つ從來の政治の外に新しい政治のやり方を考へまして、公卿と武家と一致する、公卿が武家の事をもするといふ新しい意味の事を考へた經綸とは較べ物にならぬのであります。唯詰らない議論でも、又其中に當時の實状を非常によく現はしてゐるところが大切であります。
私が始めて讀んだ時からいつも忘れずに居つた事は「足輕といふ者長く停止せらるべき事」といふ一ヶ條であります、足輕即ち武士《サムラヒ》以下にある所の歩卒が亂暴をするといふ事に就て非常に憤慨してゐるのであります。足輕といふものは舊記などにも書
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