も、其他凡ての智識、趣味において、一般に今迄貴族階級の占有であつたものが、一般に民衆に擴がるといふ傾きを持て來たのであります。是が日本歴史の變り目であります。佛教の信仰に於ても此の變化が著しく現はれて來ました。佛教の中で、其當時に於ても急に發達したのが門徒宗であります。門徒宗は當時に於ては實に立派な危險思想であります(笑聲起る)。一條禪閤兼良なども其點は認めて居るやうでありまして「佛法を尊ぶべき事」と書いてある箇條の中に、「さて出家のともがらも、わが寶を廣めんと思ふ心ざしは有べけれど、無智愚癡の男女をすゝめ入て、はて/\は徒黨をむすび邪法を行ひ、民業を妨げ濫妨をいたす事は佛法の惡魔、王法の怨敵也、」と書いてある。一條禪閤兼良は門徒宗のやうな無暗に愚民の信仰を得てそれを擴める事に反對の意見をもつて居りますが、其當時に於てすでにさういふ現象があつたといふことが分ります。それは兼良が直接さういふ状態を見て居りました處からさう感じたのだと思ひますが、引續き戰國時代に於て門徒の一揆に依て屡々騷動が起り、加賀の富樫など是がため亡んでしまひ、家康公なども危く一向門徒の一揆に亡ぼされる所でありました。
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