廷から保護を受けることの代りに日本の一般人民から受けるといふことになりますので、御師が一般參拜人の取次をして誰でも參拜せしめる仕掛にしたのであります。
尚是等の事に就ては、平田の前から尾張東照宮の神主で吉見幸和といふ人があり、伊勢の外宮の神主などが唱へる妄説の由來を研究しまして、平田なども是に依つたのであります。元來内宮は天照大神、外宮は豐受大神でありますが、豐受大神といふのは言ふ迄もなく天照大神のお供へ物、――召上る物を掌る神といふ事で、位の低いものであります。所が其位の低い外宮の神主が内宮の神主に對抗して同等なものといふことにするため、いろ/\古くから理窟を作ることを考へました。さうして神道に關する著述も外宮の神主、度會家行などから起つたのでありまして、低い地位に居つた外宮の神主の方が智慧も早く發達して、外部に對し信者を得るといふことを考へました。それで御師も外宮の方が盛んであつたといふことであります。兎に角日本國民一般の參拜を認めてそれに依て維持しようといふことになりました、御師は何國何村は自分の持分といふ風に分けて得意を持つて居りました。それで時々どこの講中を賣買するとか、何
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