剋上であるから、それは單に足利の下に細川、細川の下に三好といふ風に順々に下の者が跋扈して行くといふやうな、そんな生温いことを考へて居つたのではありませぬ。最下級の者があらゆる古來の秩序を破壞する、もつと烈しい現象を、もつと/\深刻に考へて下剋上と言つたのであるが、此の事に限らず、日本の歴史家は深刻な事を平凡に解釋することが歴史家の職務であるやうに考へてゐるやうです(笑聲起る)。これらが他流試合で、又惡口を言ふと反動が怖しいからやめます(笑聲起る)。
所が一方には又下剋上――下の階級の方から此時代に對して考へる其感想を現はしたものがあるのであります。其事の載つて居る本は同じ時代の著述ではなく、もう少し後の時代のものでありませう、しかし其中に書いてあることは、同じ應仁頃の事として書いてあります。天文、永禄頃の本とかいふのに「塵塚《チリヅカ》物語」といふ本があります。其終りの處に山名宗全が或る大臣と面談したといふことが書いてありますが、是は大變面白いのです。山名宗全が應仁の亂の頃或る大臣家に參つてさうして亂世のため諸人が苦しむさまなど樣々物語りした其時に其大臣がいろ/\古い例を引出した。是
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