時代で、恐らく今日の支那もさういふ風になつてゐると思ひます。今日の騷亂は大した騷亂でもないが少しも統一されないのは、個人のすぐれた能力を持つた人がないからで、夫でいつ迄も騷亂が收まらぬのであります、併し乍ら斯ういふ時代には時としてどうかすると最後に非常にすぐれた人が出て來るものであります。兎に角一條禪閤兼良といふ人は舊來の階級をやかましく言つて統一の出來て居つた時代から見るので、この足輕の亂妨がよほど心外に思はれたものと見えます。それで「左もこそ下剋上の世ならめ」と書いてゐますが、近頃どうかすると國史をやる人の間に、此の下剋上の意味を勘違ひして居る人があるやうで、それが教科書などにもその誤つた見方のままに書いてあるのがありますが、下剋上といふことを、足利の下に細川、畠山の管領が跋扈して居り、其細川の下に三好、三好の下に松永が跋扈するといふ風に、下の者が順々に上を抑へ付けて行くのを下剋上といふやうに考へるものがあります。無論それも下剋上であるには違ひありますまいが、一條禪閤兼良が感じた下剋上はそんな生温いものではありませぬ。世の中を一時に暗黒にして了はうといふ程の時代を直接に見て感じた下
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