ら一般の信仰に移りゆくさまをうまく言ひ表してあります。
 それから伊勢で暦を作りました、是は假名で極く分り易く書いた暦であります、元來暦といふものは、京都の賀茂、安倍の家が特權を持つて居つた所のものであります。其家で作る特別の暦は天子を始め貴族の人々のために何部かを作つて配るだけで、それが所謂|具注《グチユウ》暦であります。此具注暦は其中に日記を書く例になつて居ります、詰り職務のある人が日記を書くために暦が作られたのであります。所が伊勢の町人が祭主の藤浪家に頼んで、安倍氏の土御門家から暦の寫本を貰ひ、それを假名暦にして御師の土産として配つたのが、しまひには商賣になつて金さへ出せば誰でも買ふことが出來るといふやうに、暦の頒布が平民的となつたのであります。是は神さまの信仰を擴めるに就ての副業でありますが、副業でも何でも平民的の傾きを帶びて來て居るといふことが此時代の特色であります。
 下剋上の世の中でありまして、下の者が跋扈して上の者が屏息するといふのですから、日本の一番大事な尊王といふやうな事には果してどういふ影響を及ぼしたかと言ひますと、當時は皇室の式微の時代であつて、戰國時代の末には御所の中で子供が遊んで居つたといふ程ですから衰微して居つたには間違ありませぬ。けれども其一面においてさういふ風な神さまの信仰――天子の宗廟に對する信仰が朝廷の保護から離れて人民の信仰となつたがために、却て一種の神祕的尊王心を養つたことは非常なものであります。そして其後の日本の尊王心の歴史から申しましても、此間に一般人民の胸裡に染み込んだ敬神の念と共に養はれた尊王心は非常なものであると思ひます。それで一時朝廷が衰へたといふ事は、日本の尊王心の根本には殆ど影響しないのであつて、寧ろ其のために尊王心を一部貴族の占有から離して一般人民の間に普及さしたといふ效能があるのであります。斯ういふ事が當時の一つの現象であります。
 其他やはり其當時の一種の信仰目的とでも申しますか、兎に角日本の道徳の經典といふやうなものが組織せられ掛けて來た事實があります。即ちかの菅公は和魂漢才と申されたと言ひますが、昔の貴族政治時代以來澤山ある學藝を、どれもこれも凡てを修養しなければ一人前の公卿なり縉紳なりになれない譯ですが、斯ういふ亂世で面倒な修養が出來なくなるに從つて、さういふものが或る一部分に偏る傾きが生じて來ま
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