如き嚴めしき態度をとられて居ないで、親戚の長者などに對せられる樣な極めて親密な御扱ひ方であつて、時としては御好な刀劍を需めたいけれども金が無いからとて御無心遊ばされたといふことなども見えて居るが、すべて宸衷を包まれることなく御認めになつたものゝみである。其宸翰全部は明治天皇も一時お借り上げになつて御覽になり、十數通はこれを御手許にお留めになつて、其の寫を御返しになつたといふことであるが、自分が拜見した中で最も重大なることは、矢張り山川浩氏の「守護職始末」にあると同樣な七卿の參朝を止められた事件であつて、當時の朝廷における過激な議論に對して非常に宸襟を惱ませられて、これを斥け得たので御安心になつたといふことを御認めになつたものであつた。自分は其の以前から「守護職始末」を讀んで居つたので、會津家に有する宸翰と、これ等の新しき材料とは全く一致するものであることを發見して、當時の事情に關する眞相を知り得たのである。
 恐らく斯の如き有力な材料は、他の堂上華族などにも所藏して居られる方があるかも知れぬ。唯維新以來當時の勝利者の勢焔が當るべからざるものである爲に、其の儘に握り潰されて居るものが多か
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