護職始末」の如き全く反對の立場から書いたものであつて、これは明治四十四年に出版になつて居るが、實際この書が書かれたのは其の遙か以前であつたので、これを公にする迄には少からぬ困難があつたといふことを聞いて居る。この書は會津藩が京都守護職を承はつて居つて、孝明天皇が非常な御倚頼を受けて居つた事の始末を書いたものである。この書の出來る前に矢張り會津の人で北原雅長といふ人が「守護職小史」といふものを書いたことがある、然しこれは孝明天皇が如何に會津の藩士を御頼りになつたかといふ樣な機密材料は少しも載せられてなかつた。この山川浩氏の一記述が出づるに至つて初めて眞相が顯はれたのである。
又徳川慶喜公の晩年に公爵を賜はつたりなどする時には、長閥等の思想も大分寛大になつて居つた傾きがあるけれども、然し夫は澁澤男などが伊藤、山縣兩公等の間に斡旋して、頗る妥協的に再び世に出て來たのであつて、近年あらはれた慶喜公に關する記事等も、幾らかこの妥協氣分から生れて來てゐると見なければならぬものであつて、「京都守護職始末」の如く、全然維新の勝利者を向ふへ廻して、其の藩の爲めに冤枉を伸べる意氣込で書いたものとは同一に見られない。今日迄に世に現れた反薩長派の著しい著述はこれ等一二のものに過ぎないけれども、維新の事情に對する順逆論の從來の態度を開放したならば、斯くの如き著述は幾つも現れて來るべきものであると思ふ。
尤も會津藩の如く、孝明天皇の非常な知遇を蒙つて居りながら、非常な殘酷な運命を以て終つたが爲めに、非常な深刻な感じを持つた地方は多くはないわけであるから、「守護職始末」の如き名著は出來難いとしても、兎も角維新の事情に對して反薩長側の意思、主張を十分に述べたものは現れるに違ひない。それは必ずしも纏まつた著述としてでなくとも、今日ならばまだ材料としても、さういふものを集め得る機會もあると思ふ。
維新史料編纂局が果して是等に對して十分なる用意を持ち、十分なる注意を拂つて居るかどうか、維新史料編纂局は開設以來其の成績を公表したこともなければ、如何なることをして居るかも世間に知らしめたこともない。これは政府の一つの機關をなすものゝ態度としても實に怠慢の至りであつて、世論が少しも之を問はない事が既に不可思議の次第である。今日迄の如き委員等の組織から考へると、その材料蒐集の態度等においても十分の疑問をさしはさんでも差支ない。もしそれがさうでないとすれば、その證據を示す爲めに材料の蒐集法、其の得たる材料等を、或る時期において時々これを開放し、展覽して其の公平な態度を示すべきである。
自分は單にかういふ事をあり得べき事として想像するのみでない。多少自分は明白な證據を握つて居る。其一二を擧げるならば、一つは久邇宮家に關する事である。故の久邇宮朝彦親王即ち維新前に中川宮と稱せられた方は、孝明天皇の非常に御信任の厚かつた方であつて、京都守護職始末にあらはれて居るところでも、孝明天皇は屡※[#二の字点、「屡※」で「しばしば」、面区点番号1−2−22、161−13]宮に宸翰を賜つて「眞實の連枝と存ずる」と仰せられ、何もかも御相談になつた方で、其の當時からして屡※[#二の字点、「屡※」で「しばしば」、面区点番号1−2−22、161−14]中傷を試みた反對派があつたけれども、天皇は少しも御取上げにならなかつた。この親王が孝明天皇の崩御の後間もなく、一種の陰謀に傷つけられて謀叛の嫌疑といふことで廣島へ遷された。
これは眞實全く陰謀の毒手にかゝられたのであつて、當時薩長派の政府から親王謀叛の文書を持參して尋問の使者を承はつたものがある。それは故の男爵中島錫胤であつたといふことであるが、親王の前に其の文書を差出した所、親王は少しも自分の知らぬことだと仰せられ、文書には手形が押してあつたので、親王はその手形の上に御自分の手を當てられた、所が手形は親王の手より大きくて少しも合はなかつた。それで使者中島は一言もなく其の儘引き返した。然しそれにもかゝはらず親王謀叛の嫌疑は霽れず、何の理由もなく廣島へ遷されたのであつた。
其の後赦免と稱して廣島から東京へ歸ることを許された時も、非常に困窮をせられて、山内容堂侯から五百兩の金を借られて、京都へ御着きになつたといふ事である。これ等の事は、自分は後に久邇宮家の傳記を調査した故の内藤恥叟翁其他から親く聽いた所である。久邇宮家では其の傳記を世に發表せられずして其の儘藏されて居るといふことであるが、これ等の事も今日になれば勝利者の態度を保護する爲めに何時迄も眞相を蔽ひ隱すといふことは甚だ不都合であつて、有りの儘の材料を傳へることをはかるべきである。
自分は又近衞公爵家に藏せられる百四十餘通の孝明天皇の宸翰を拜見したことがある。其の宸翰は誠に君臣といふが
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