てゐないで、皆之卦を以て占ふことになつてゐる。尤も左傳には一ヶ處艮之八といふのがあり、國語には一ヶ處泰之八があり、得貞屯悔豫皆八也、といふこともあるが、これは九六の變ずる爻を以て占ふ者とは異つた法だといはれて、古來その解釋が徹底しない。要するにこれによつて左傳や國語に載せられてゐる卜筮法の傳來には未だ數に關する考が著るしく表はれてゐないことが分る。惠棟の易例にも古文の易の上下には本と初九初六及び用九用六の文なし、説者は初九初六皆漢人の加ふる所といへども、孔子の十翼には、坤の六二の象傳、大有の初九の象傳、文言の乾元用九、坤の用六の象傳等に九六の字があるから、孔子の時から有るといつて居るが、これは易の數に關する考は十翼の作られた頃に起つたものといふことを明らかにするのみで、それ以前には存在せなかつた證據ともすることが出來る。
それから又繋辭の中に君子所居而安者易之序也、所樂而玩者爻之辭也、とあつて、此の序といふのは恐らく序卦の意味をもつものと思はれるから、序卦と繋辭との間には何等かの關係があつて作られたものではなからうかと考へられる。而して序卦の思想は各々の卦の意義を説くに就いて説卦や雜卦と大分相違するやうに思はれる。雜卦の順序が序卦と異なることに就いては、晉の干寶などからして已に注意せられ、又其の末尾の大過顛也以下數句が錯簡であるらしいとは、鄭玄、朱子なども注意した所であるが、しかし朱子は其の協韻の方から考へると錯簡らしくもないと言つて居り、蔡氏は協韻に差支へないやうに錯簡を改正して居るが、此の改定によつても、全體の順序が序卦と異なることは疑はれない。序卦は昔から其の淺薄を疑はれて居るものであるから、説卦や雜卦の方が古くからあつた各卦の原意を傳へてゐるのではないかと思はれるので、繋辭と序卦とはそれよりも晩く作られ、而して其作られた時代が大體爻辭の作り上げられた時代と同時だとすれば、爻辭の完成されたのは餘程晩い時代とならなければならぬ。予は嘗て本誌上に於いて説卦が爾雅の六畜の部と關係のあることを述べたことがあるが、それらの作られた時代よりも繋辭や序卦の作られた時代は更に降ることゝ思ふ。而して爻辭が現在の形にまとめられたのも或は漢初の頃ではないかと考へる。畢竟予の考ふる所は繋辭にある數の思想とそれから元來の易の意義に近い象即ち説卦が主として説いてゐる思想とは本來別々のも
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