て仕方がないと見たから、そこで法然様が念仏ばかりでいいと仰言《おっしゃ》ったのだ。もう少し智恵のある人間に向っては法然様だって何も念仏に限るとはおっしゃりますまい」
 というのを、為守が聞いて腹を立てて、早速法然へ手紙でそのことの不審を訂《ただ》してやると、法然は、決してそんなことがある筈はない。念仏は一切衆生の為で、無智だの、有智だの、有罪無罪、善人悪人、持戒破戒等の区別があるべきものでないということを懇々と諭されている。
 その後為守は法然の門弟|浄勝房《じょうしょうぼう》、唯願房《ゆいがんぼう》等の坊さん達を関東の方へ頼んで来て、それを先達として不断念仏をはじめ行い出した時、時の征夷将軍(右大臣実朝)に讒言《ざんげん》する者があって、
「津戸為守は、専修念仏を起して聖道の他の諸宗派を謗《そし》っている、不都合千万だ」そこで領守が召して糺問されるというような沙汰《さた》があったから、為守は驚いて、
「もし、そういう事がありましたら、どういう返事をしたらよいものか、むずかしそうな返答の言葉と、たとえの文句などを一つ仮名まじり文に書いて、くわしく教えていただきたい」
 ということを飛脚
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