んでいた。何故にこんな処に住んでいたかというと、その以前法然が病気の最中に、いずくよりともなく車を寄せたものがあって、中から貴女が一人降りて法然に面会した。その時看病の僧達は外出したものもあり、休息しているものもあって、勢観房だけがただ一人障子の外で聞いていると、その貴女の声で、
「まだ今日明日のこととは思いませんでしたのに、御往生が近いような様子、この上もなく心細いことでございます。さて御往生の後は念仏の法門のことなどは、どなたに申残し置かれましたか」
と尋ねられる。法然が答えて、
「源空が所存は撰択集に載せてあります。撰択集にちがわないことを云う者こそ源空が宗旨を伝えたものであります」
それから暫く物語りなどあって貴女は帰って行かれたが、その気色はどうも只人とは思われなかった。そこへ外出の僧達も帰って来たから勢観房は車の後を追いかけて見ると河原へ車をやり出して、北を指して行ったが、かき消す様に見えなくなってしまった。帰ってから法然に、
「只今のお客の貴婦人はどなたでございますか」と尋ねると、法然が、
「あれは韋提希夫人《いだいげぶにん》である。加茂のほとりにいらっしゃるのだ」
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