か騒いでいる。それを聞くと山伏の一人が、「あの醍醐の乗願房の救われるのをさまたげてやろうじゃないか」というと一人の山伏が「あれはなかなか信念が堅くて妨げられないが、ただ一つ貴女から貰った念珠を大事にしている。あれを種子にして一つ妨げてやろうではないか」という夢を見たので、乗願房の庵室へ訪ねて来て、それとなく尋ねて見ると、なる程その珠数をもっている。修行者は乗願房から謂《いわ》れを聞くと走り寄って乗願房の持っていた念珠を奪い取って火の中になげ込んでしまった。乗願房が驚いて尋ねると、修行者がはじめて夢のことを委《くわ》しく語ったので、乗願房は却って修行者のなしたことを喜んだという話がある。醍醐の菩提寺の奥、樹下の谷という処に長く隠居していたが、後清水の竹谷という処に移り建長三年七月三日生年八十四で往生を遂げた。
四十四
長楽寺の律師隆寛は、粟田関白五代の後胤、少納言資隆の三男であったが、慈鎮和尚の門弟であり、後浄土に帰して法然の弟子になった。毎日阿弥陀経四十八巻を読み、念仏三万五千遍を唱えていたが、後には六万遍になった。或時、阿弥陀経転読のことを法然に尋ねた処、
「源空
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