剛草履をはいて歩いていたが、今は年もとった上に何分長途のことであるから、輿に乗せられたのである。
 何しても絶代の明師が不測の難に遭《お》うて遠流《おんる》の途に上るのだから、貴賤道俗の前後左右に走り従うもの何千何万ということであった。
 それにしても土佐の国までは余りに遠い。月輪禅定の骨折りによって、その知行国である讃岐国《さぬきのくに》へ移されるように漸く嘆願が叶ったのである。月輪殿は歌を詠んで名残《なご》りを惜しまれた。
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ふりすててゆくはわかれのはしなれど
  ふみわたすべきことをしぞおもふ
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 法然の返辞、
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露の身はここかしこにてきえぬとも
  こころはおなじ花のうてなぞ
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 鳥羽の南の門から川船に乗って下ることになった。
 摂津の国|経《きょう》の島《しま》に着いた。ここは平の清盛が一千部の法華経を石の面に書写して海の底へ沈めたところである。島の老若男女が多く集って、法然に結縁した。
 播磨の国高砂の浦へ着いた時も多くの人が集まって来た中に、年七十余りになる老翁が六十余りの老女を連
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