を我が弟子に非《あら》ずとして擯出《ひんしゅつ》した。
兵部卿三位基親卿は深く法然勧進の旨を信じて、毎日五万遍の数遍、怠りなかったが、「一念義」の幸西がそれを非難して来たものだから、幸西といろいろ問答をしてその義と自分の考えとを記して法然の処へ問うて来た。その中に、
「念仏者は女犯《にょぼん》はばかるべからずと申す者もあるが、善導は眼をあげて女人を見るべからずと迄云われて居るに――ということ。それから自分が五万遍を唱えていると、或人が本願を信ずる人は一念である。そうすれば五万遍は無益である。つまり本願を信ぜないことになる。わしはそれに答えて、では念仏一声の外に百遍乃至万遍は本願を信じないのだという文があるか。その人が云う。自力では往生が叶わない。ただ本願を信じてから後は念仏の数は無益であると。わしは又云う。自力往生というのは念仏の他の雑行をもって願いをたてるというからそこで自力といわれるのである。従って善導の疏《しょ》には上尽百年《じょうじんひゃくねん》。下至一日七日一心専念《げしいちじつしちじついっしんせんねん》。弥陀名号《みだみょうごう》。定得往生必無疑《じょうとくおうじょうしつむぎ》とあって百年念仏すべしとある。又法然上人も七万遍の念仏を唱えしめられている。わしも法然上人のお弟子の一分である。依って数多く唱えようと思うのだ。仏の恩を報ずるのだ」と。
法然はその手紙を見て返事を書いて基親の信仰をほめ、
「深く本願を信ずる者は破戒も省るに足らないというようなことは又お尋ねになるには及ばないこと。一念義のことは念仏の天魔、狂言だ」といって深くとりあげられなかった。
この成覚房の弟子達が、越後の国へ行って、一念義を立てたのを法然の弟子の光明房というのが心得ぬことに思って、それ等の連中の訪問を記して法然の処へ訴えて来たが、法然はそれにも返事を書いて、
「一念往生の義は京中にも略《ほぼ》はやっているが、言語道断のことで、まことに問答にも及ばないものだ」といいながらよく事理を細かに尽し、「凡《およ》そかくのごとき人は、附仏法《ふぶっぽう》の外道《げどう》なり。師子のなかの虫なり。又うたごうらくは、天魔波旬《てんまはじゅん》のために、精気をうばわるるの輩。もろもろの往生の人をさまたげんとする歟《か》、尤《もっと》もあやしむべし。ふかくおそるべきものなり。毎事筆端につくしがたし」とまで云って、右の光明房の手紙に就て法然は、「一念義|停止《ちょうじ》の起請文」をまで定めて世に示した。その文中には「懈怠無慚《けたいむざん》の業をすすめて、捨戒還俗《しゃかいげんぞく》の義をしめす」と憤り、或は「いずれの法か、行なくして証をうるや」と歎き、最後に承元三年六月十九日沙門源空と署名している。
三十
法然の師範であった功徳院の肥後|阿闍梨《あじゃり》皇円は、叡山杉生法橋皇覚の弟子で、顕密の碩才であったが、或時つらつら思うよう、「自分の機分ではなかなか生死を離れて成仏することは覚束ない。いろいろ生れ更って見ても仏法を忘れてしまい、人身を受けてもなお二仏の中間にいて生死を離れることが出来ない。仕方がないから長命をして慈尊の出世まで待つ外はない。命の長いものは蛇に過ぎたものはないということだから、わしは大蛇になろう。但し蛇になっても大海に棲むと金翅鳥《こんじちょう》という奴に捕えられる怖れがあるから池に棲むことにしよう」といって願を立てて遠江の国笠原庄の、さくらの池という処へ身を沈めてしまった。静かなる夜は池に振鈴の音が聞えるということである。
法然がそのことについて言うよう。
「智恵があって、生死の出で難いことを知り、道心があって慈尊に会わんことを願うのは、殊勝のことのようであるが、よしなき畜生の趣《しゅ》を感ずることは浅ましいことである。これは浄土の法門を知らないからのことである。わしがもしその時分にこの法を発見していたならば、信不信を省みずお授け申したものを。極楽に往生した後は十方の国土を心に任せて経行《きょうぎょう》し、一切の諸仏思うに従って供養が出来る。なにもそう久しく穢土《えど》にいなければならないという筈のものではないのに、彼の阿闍梨ははるか後の世に仏のお出ましを待って現在に救わる道あるを知らずに池に棲み給うとは、おいたわしいことじゃ」
妙覚寺に妙心房といって評判の高い僧があった。道心が深いということで、寺門を出でず、念仏を行ずる有様は非凡で、帰依する人も盛んにあったが、五十歳ばかりで亡くなった。その時の臨終の有様がさんざんであったから人々がそれをあやしんで、
「妙覚寺の聖人でさえもあの通りの有様で往生が出来ない。まして外の人をや」
といいはやした。法然がそれを聞いて、
「さあ、それは本物ではあるまい。虚仮《こけ
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