学であったが、先生は村で習えるだけの漢学は習い尽し村で読めるだけの本は借りて読みつくし、とうとう我慢が出来ず東京へ学問をしに出かけた。
 こればっかりは本当に学問が好きで出かけたので、学問をしてサラリーに有り附こうとか出世しようとかの欲望は更に無かった。そうして人力車を挽《ひ》いたり、風呂炊きになったり様々の職業をやりながら二松学舎に通った。
 その時分の事、書生が大勢集まってお茶を飲み餅菓子を盛んに食べて談論するのを見て、先生は書生の分際であんな餅菓子などをおごるのは僭越だ、おれはそんな贅沢なものは食わない、沢庵で結構だと云いながら沢庵を持って来させて、それをガリガリかじりながら同学の書生達と盛んに談じ込んだものであるが、席が終ってさあお茶菓子代の支払と云う段になって、書附を見ると亀先生の噛《かじ》った沢庵が大物三本、餅菓子よりははるかに高価であったという。
 そういう訳であるから折角学問はしても生活にはうとく、業成って村へ帰って来てしばらく村の学校にやとわれて教師をして居た事もある。その時分の小学教師は今のように資格がどうのこうのという事は無いから、亀先生は先生もすれば百姓もして居
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