見える。
傑《すぐ》れた人物というものも出ないし、また異常なる篤行家とか奇行家というのもとんと出ない、また昔は名物の馬鹿が各村に存在して居たのだが、今はそういう馬鹿も全く影をひそめてしまった。
ここに弥之助が少年時代の思い出をたどって少々村の畸人伝《きじんでん》をしるして見よう。
砂川村に俗に「おてんとうさま」という荷車|挽《ひ》きがあった、本名は時蔵というのであるが、この人は砂川の村から青梅《おうめ》の町まで約四里の道を毎日毎日降っても照っても荷車にカマスを積んで往復する。その時が毎日一分一秒も違わない、おてんとうさまと同じ事だというのである。それ時さんが通ったからお昼飯だというような事になって、おてんとうさま扱いを受けたのである。弥之助は子供の時分何年となくこのおてんとうさまが車を挽いて家の前を通るのを見るに慣らされて居た。
新町に「為朝《ためとも》」というのがあった、毎日山から薪を一駄(三把)ずつ背負い出して来て、
「どうだい今日は薪を買わねえかい」
と云って売りあるいていた。薪が売れてしまえばそれで居酒屋へ這入《はい》ってコップをぐっと引っかけておさまり込んでしまう、一
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