る、東京に居た弥之助は町のお祭を歩いて、それまでは提灯《ちょうちん》であった馬鹿囃子《ばかばやし》の屋台に電燈が点けられたのを見て劃期的に感心した、
「お祭りの馬鹿ばやしの屋台にまで電燈がついた」
 弟などをつれて祭礼見物に出かけてはひたすら驚異したものだ。それからどこの家でも各室皆一燈を備える様な勢いをもって今日に及んで居る。
 日本の電力及び電燈は世界で一二を争う威勢だと云って誇るものもあるが、それは資本力のせいばかりではない、天然の水力に恵まれている余恵である、併しそれでも都会と村落との比例を考えて見ると恐ろしい開きがあるのを、この植民地に落ち着いて初めて弥之助は感得する事が出来た。
 こっちへ来て見ると田舎《いなか》の電燈料が東京市内にくらべて遙かに高い、高いのはいいとしても光力が甚だ弱くてけち[#「けち」に傍点]である。それから朝夕の点滅の時が如何にもしみったれという感じを持たせずには置かない、昼夜線というのは頼んでも中々引いて呉れない、そして朝は早朝からぷっつりと配電を止めてしまう、早朝飯をおえてこれからだという時にぷっつりと消えてしまう、仕方が無いからロウソクでつぎ足をし
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