のものを借りて来て、天蓋には白紙を張り、それに銀紙で卍《まんじ》をきざんで張りつけ、蓮台は白木のままの古びた極くお粗末なものであった、そうして、その棺を担《かつ》ぐのはその庭場庭場の年番の廻持ちでたしか六人位ずつの人足を出していた、穴掘りもそれ等のものがやり、棺を担ぐのもやはりそれ等のものがやったと覚えている。
愈々《いよいよ》坊さんの読経も済んで、その家から棺が繰り出す、前後にはそれ相当の紋付、羽織、袴《はかま》、女は幾代も幾代も相伝の白無垢《しろむく》を借着をしたりなんぞして、それぞれ位牌を持ち線香立を持ち、白木のお膳などを持って棺の前後に附き添うと、その周囲には親類だの庭場中の会葬者だのがぞろぞろとついて行くのであった。それからまだ棺の前後には小さな天蓋だの、竜の頭だの仏の名を書いた旗だのというものもつき添っていた。愈々《いよいよ》この葬列が繰り出すと、同時に棺舁《かんか》きの六人ばかりの口から念仏の声が前後相呼応して高らかに称《とな》え出される。
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なあーんまいだんぶつ
なあーんまいだんぶつ
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この称名に送られて寺から墓地へと進
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