色豊かなモンペ二着を小包郵便を以て送り来された。
さて、こうなって見ると、普通の羽織を引っかけたのでは、前の方に隙間《すきま》が有り過ぎる、これは釣合のとれた被布様のものに限る、と、弥之助はこう考えたものだから、次には被布の製作方を思い立った。幸、それには好適の古羽織が一枚ある、これは全部三味線糸で織ったもので、重さは普通木綿の二三倍もある、雨合羽《あまがっぱ》代用などにしながら持て余していた。これを一つ仕立て直してもらって、上っ張りにしようと、人に頼んで被布式に縫い直し、裏地を撤去して、成るべく重量を減らしてもらった、これがまた、丈夫でもあり、惜気《おしげ》も無くて至極よろしい。
日本農村の服装改良はこんなところから初まるであろう。
十五
弥之助は食土一如の信者というわけでは無いが、この武蔵野の植民地に住む限りは、主としてこの附近の産物を食料にとる方針を立てた。
水田の無いこの野原では陸稲を主としなければならない、陸稲にも相当種類はあるが、釜割《かまわれ》種はさっぱりし過ぎてねばり気が少ない、もう一つの平山種はきびの悪い程うまかった、うまいと云った所で水稲と
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