からまた健康を取り直し今では二十貫の体量になっているが、いずれにしても一度きずついた体であるから自重する念が深い、そこで冬はなるべく温い土地で暮したいと思うがまだ別荘を持つまでに至らない、熱海と云う所は昔から好きな所であった、今から三十年ばかり前に逗留保養したことまである温泉だが、大震災以後土地の気分がこわれた上に鉄道が開通し自動車の世の中になってからは町全体が昔の様な潤《うるお》いが欠けてしまった感じがする。
 しかし避寒を兼ねての東京へ一番近い養生地と云えばこの地に越した所はないので弥之助は冬はしばしば此処《ここ》へやって来る。
 今日もまた海岸の中流処の宿屋に陣取って二日ばかり保養した、海岸は波の音がよもすがらやかましいけれど、此所《ここ》には「河原の湯」と云う名湯がある、弥之助はこの湯が好きなので宿の内湯等は二の次にして此所であたたまる事を楽しんで居た、河原の湯は昔とは違って改造され、一浴五銭ずつ取って大きな共同風呂になって居る、その熱度と新鮮味とが他の何所の湯よりも肌に爽《さわやか》である。
 弥之助は此所で二日ばかり保養した後、東京へ取って返した。枝付きの蜜柑《みかん》を買
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