知れない、最初に経営を任せたある坊さんが施設した豚飼養の計画は農家経済として間違った着眼ではない、収益率の極めて乏しい農家の副業として豚の飼養は相当有利なものである。この頃聞くと、つぶし豚に売って、一貫目一円九十五銭――までになったそうだ、約二円である、で、一頭の豚をこの辺では二十貫程度にして売り出す、少し丹精すれば三十貫にはなるから、五頭も飼うと有力な一家経済の足しにはなる。
 鶏もこの頃漸く卵を産みはじめた。少なくも資本だけは取り上げなければならない、と百姓弥之助は考えた、百姓弥之助の農業はまだ投資時代だが、やり出した以上はお道楽であってはならない、美的百姓だけで甘んじていてはならない、早く独立自給だけにして見なければ冥利《みょうり》にそむくと弥之助は考えている。

       七

 弥之助は、健康の転換の為に熱海の温泉へ出掛けた、弥之助の少年時代は仲々健康児の方で、手首等は自分の指で握りきれない太さを持って居たが、東京へ出て苦学と云う事をしたり家庭を背負って生活戦線に疲れたりしたものだから、甚だしく健康をそこねて二十歳前後一時は絶望とまで思われたのに、努力によって三十歳の後半
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