最近の農業は、農業の商業化と云ったような大勢になって居る。
昔は金肥は殆どつかわず、機械力も極めて単純なもののみであったが、今日はそれとは全く違って居る。
即ち成る可《べ》く多く肥料に金をかけ、成る可く多くの収穫を上げようとする行き方になって居る、資本を多く投入して収益を多く見ようという行き方になって居る。つまり農業の資本主義化、商業化である。と云うと小農中の小農制たる日本の、どこに資本の余裕があるかと反問されるかも知れぬが、個々について云うのでなく、全般に於てそうなのである。
ところでこれを以前の農業の農業でやって行けないものかどうか、昔の農家は今の農家のように、金肥をつかわなかった、金を出して肥料を買うという事は甚だすくなかった、それでも兎に角、農業はやって行けたのである、そうして相当着実でもあり余裕もある中堅農家が相当に存在し得たのである、一体農業というものにだけは、すべてが自給自足出来るようになって居るのが特長では無いか、廃物というものは一つもなく、強《し》いて外来物を呼び入れなくとも、行けば行ける性質のものではないか、改良と云い進歩というのは、現在あるものを科学化し
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