生きて行けるだけで、人の為に尽そうとしても尽し得る余力が無いのは遺憾きわまりが無いが、如何とも致し難い、官禄の一銭も身に受けていないし、名誉職の一端を荷うほどの器量も無い、ただ一町歩の畑と一町五畝の山林の所有者で、百姓としては珍しく書を読むことと、正道に物を視るだけが取柄である。
「百姓弥之助の話」はこの男が、僅かに一町歩の天地の間から見た森羅万象の記録である、これこそ真に「葭《よし》の蕊《ずい》から天上のぞく」小説中の小説、囈語中の囈語と云わなければなるまい。「大菩薩峠」は、材を日本の幕末維新の時代に取った一つのロマンスであるとすれば、この「百姓弥之助の話」は、日支事変という歴史的空前の難局の間に粟粒の如く置かれた百姓弥之助の、現実に徹した生活記録とも云えるけれども、要するに小説中の小説であり囈語中の囈語であることは、重ねて多言を要しない。
自ら筆を執って書いた処もあれば、そうで無いところもあるが、要するに文字上の責任は、百姓弥之助の唯一無二の親友たる介山居士が背負って立ち、出版の方も同氏が一肌ぬいで呉れることになり、隣人社の諸君のお骨折によって、今後、一年に数冊――ずつを、新聞雑
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