で、子供までがこの体《てい》であったから、百姓弥之助は変な気持がした。
程なく、たずね当てて、久しぶりでほとんど半日をその庵で快談に耽《ふけ》ったが、その話のついでに右の呼び捨ての不審をただすと、閑山先生、苦笑いをしながら斯う云った。
「あれは困りものです、そもそもこの村のアクの抜けない先輩共がいけないのです、拙者の名が多少世間に知られているのを、自分の家族か何かのように心得るのはまあいいとして、おれは斯ういう世間に通った名前も、呼び捨てに出来るのだという、卑しい夜郎自大の見えから、そう呼ばなくてもいい場合に、閑山閑山と云っては鼻にかけるというわけで、親しみから来ているのではない、一種のアクの抜けない田舎者根性から出ているのです、そういうやからは拙者の面前では、話も出来ないのですが、全く無邪気な農民と子供等があの通り、それでいいものだと心得て、呼び捨てにしている、中には拙者の前で臆面も無く閑山が閑山がと呼びかけて済ましているのがある、あまり図々しさが徹底しているから、よく考えて見ると、『カンサン』サンという字がつくから、それでもう敬称は支払い済みだと心得ているらしい、勘さんとか助さんとかいう意味で用いているらしい、これ等は全く無智無邪気でおかしいが、こういう風儀をはやらせた、村の先輩格のアクの抜けない半可通がよろしくない」
と閑山先生が、その来歴を話した。
百姓弥之助は、それを聞いて、成程と思った、そうして、その日の帰りがけに、その村の小学校をたずねると、丁度校長さんがいたから、弥之助は立止まって、少々立話をした末に、それとなく斯ういう事を忠告した。
「長者を尊敬する風習はよく児童等に教えて置きたいものです、昔、江州《ごうしゅう》の小川村へ行くと、藤樹先生をたずねて来る他郷の人の為に、村人は、わざわざ衣服を改めて案内したそうですが、郷党にはその位の気風があって宜《よろ》しいです、閑山先生は聞えたる老詩人です、それを子供までがああして呼捨てにしている、無邪気といえば無邪気だが、他郷の人が聞くと非常に聞き苦しいです、あれは学校から一応注意してやっていただきたいものです」
校長さんは、よくその忠告を諒として、相当教化につとめることを答えたが、その後、たずねて行って見ると著しく、その無作法が無くなっていた。
二十三
この村に電燈が点《つ》いたのはい
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