う。止むを得ず針金を持って来て、やっとの事で結えた。
 そこへ例の欠食二つがやって来た。いや改めてこの場へやって来たのではない、最初から此処に居合せて侵人者のあったのを主人よりは先きに感づいて炬燵《こたつ》の傍《かたわら》でさっと身の毛をよだてて一方の隅を見込んだ形が今思い返して見ると佐賀の鍋島の奥女中連が怪猫の侵入に怯《おび》えた気分がある。二つの欠食をつかまえて、試しに怪猫の前へ突きつけて見ると、キジの方は遠く離れて縮み上って泡を吹いて前足を揃え毛を逆立てて怖ろしい表情をしたが、三毛の方は平ちゃらで、馴《な》れ馴れしく野良猫の足もとまで進んで行く、ああ危ない、噛み殺されはしないかと心配したが、野良猫は少しも危害を加えない。どちらも三毛同志である。野良猫は無宿者のくせに肥り返って毛並もつやつやしい。そこでこれは親子ではあるまいかと思った程である。全然出所が別だから、親子の血を引く筈は無いが、見ように依っては浪花節《なにわぶし》の何処かにありそうな、親子生別れの場面が展開された。
 それから野良の元兇は農舎へ引摺《ひきず》って行ってつないで置き、さて全く改心の見込無きものとして断然死刑に処してしまうか、或いは相当期間|禁錮《きんこ》して、再び真猫に帰り得る見込有りや否《いな》やを試験するか、何にしても今日迄侵入と掠奪《りゃくだつ》に依りこの通り肥り返っている代物《しろもの》だから多少の窮命を与えたからとて早急に生命に異状はあるまい。しばらくこの農舎につないで鼠の番をさせて置く――そうして弥之助はまた東京へ出たが、二日ばかりして帰って見ると野良猫は昨晩死んでしまったと云うことである。二晩や三晩で参る筈は無い屈強さと見ていたのが、寒さにこごえたか、針金の緊縛で心臓でも痛めたか、脆《もろ》くも最期を遂げてしまった。
 思えば猫の一生もまた多事と云わなければならぬ。

       二十

 百姓弥之助は或日の事、植民地を出て多摩川の沿岸の方へと歩いて行って見た。昔に変るいちじるしいものは水道と水田であった。
 水道と云うのは多摩川の本流をここで分けて一方を玉川上水として、江戸以来東京へ引き、一方はそのまま東京湾へ落したものだが、昔はその分水も豊富であったが、東京の拡大するにつれ、今はもう殆《ほとん》ど全部を上水へ取入れてしまって、六郷の方へは殆ど一滴も落さないと云うしぼり
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