がかり、いつもと変るところはない。
 津軽の産物だといって、じゃがいもパンの試食をさせられ、十銭の包みを一つ買い込んだ、あとで食べて見たら相当に風味がよかった。
 ジャガ芋《いも》というものは、栽培が比較的容易で収穫率も多い、栄養価としては日本人に向かないというものもあるが食糧としては豊富なものであり得る、これでうどんを作る方法もあるそうだが、いろいろ研究して副主食とするようにすることは、日本農家にとって、有益な計画と云えないことは無いと思った。
 それからバスで青山方面へと帰って来たが、天気は非常によろしいけれど、風がある、久しぶりで東京見物をしてかなり町並みを歩いて見たが、なかなか物資は豊かでちっとやそっと戦争をしたからとて影響などは更に見えない、物価が高くなったとか高くなるだろうとかいうが、高いにしても知れたもので、当分そんな窮乏を訴えそうなけしきは夢にも思われない(今時それが見え出すようでは大変だが)。
 改装された東京は風情《ふぜい》というものが欠けておもしろ味のない感じはするけれども、表面見たところでは景気に変りはない、国民の一部が他国で屍山血河を越えているというような風情は少しも見えない、この点に於ては日本は幸福な国である、未《いま》だ曾《かつ》て自分の領土内に侵略を受けたことがない、東京の一角へ爆弾の一つもおっこって来るという日は別だが、今時は何処に戦争がある、といったような風景である、これというのも、彼の壮烈なる肉弾の賜《たまもの》である。
 今の日本は肉弾を以て外国の地域に堅牢無比なる防塁を築きなしている。国内は泰平だが何につけても、彼につけても日本人は肉弾に感謝をしなければならぬと思った。

       十一

 百姓弥之助はニュース映画を見ようと思って、新宿の追分のところまで来た。
 そこで、戦地に向う野戦砲兵の一隊が粛々と進んで来るのを見て足を留めた。
 百姓弥之助は植民地に居ては村人に送られる出征兵とそれを送る村人の行列を見て心を打たれたが、東京の地に来て真剣に武装した日本軍隊と云うものを眼のあたり見ると彼はまるで送り迎えの時の感情とは全く違った心の底から力強い感激の湧き出る事を禁ずる事が出来なかった。
 武装した日本軍隊は身の毛のよだつほど厳粛壮烈なものである、威力が充実し精悍の気がみなぎって居る、殊にこれから戦地に向うと云う完全武装
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