一日、用事を兼ねて、東京の市中を少々ばかり歩いて見た。
日本橋の三越のところから地下鉄に乗って、上野の広小路松坂屋へ行って、「非常時国産愛用廃品更生展覧会」という素晴らしく大げさな催しを見に行った。これは日本商工会議所というところの主催であるそうだが、題名のいかめしい割合に内容はお粗末なといっていいものである。一旦使用した廃物を再生したと称する日用品の陳列が相当ある、係員が不親切な為にどうも会の趣意が徹底しない、例えば、出来上った製作品をなぜ即売しないかと問えば、これはただ斯ういうものが出来るという見本だけだという、それでは廃品更生の宣伝にならないではないか、希望者に分けてやって、斯ういう廃物で斯ういうものが出来るということを見直させ、流行させるようにしなければ徹底しないではないか、というと、事務員が、
「これは素人《しろうと》には出来ません、素人がこれだけやるには七八年も年期を入れなければ出来ません」という。
「それではなんにもならない、七八年も年期を入れなければ出来ないものを拵《こしら》えさせるのでは、利用更生にならない、誰にも出来るようなもの、田舎へ持って行っても、家庭でも土地の仕立屋でもやれるようなものでなければ徹底しない筈である」
ということを弥之助が鋭く言うたので、あたりの人は怒鳴りつけたかと思った、事務員も沈黙してしまったが、要するにああいうものは斯ういう廃品もやり方によっては斯ういう安い費用で、斯ういう重宝なものが出来る、希望者には実費で頒《わか》ちますから見本としてお持ち帰り下さいというようにしなければ会の性質が分らない。入場者に対しても甚だ不親切といわなければならない。
店を出て御成《おなり》街道をずんずん須田町方面へと歩いて見た、町並みは少し変っているが、口入屋があったり、黒焼屋があったり、錦絵和本類屋があったりするところにまだ明治時代の御成道気分が残っている、万世橋へ来て見ると昔の柳原通り、明治以来の名残《なご》り、古着屋が相当軒を並べている、店の先へ出張って客引をつとめるやり方は以前と変らない、電車通りへ出ると、東京着物市場がある、所謂《いわゆる》柳原通りは洋服屋だが、この市場は和服を主としている、それから小伝馬町《こでんまちょう》、人形町通りを歩いて茅場町《かやばちょう》から青山行のバスに乗って東京駅で下車して丸ビルを見た、丸ビルの店
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