誌によらず、この形式で処女単行として世に出し得られる仕組みになっている。偏《ひとえ》に御賛成を願いたいものである。

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神武紀元二千五百九十八年
西暦千九百三十八年
昭和十三年
  春のお彼岸の日
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[#地から2字上げ]百姓弥之助 敬白
[#改段]


 第一冊 植民地の巻


       一

 百姓弥之助《ひゃくしょうやのすけ》は、武蔵野の中に立っている三階|艶消《つやけし》ガラスの窓を開いて、ずっと外を見まわした。いつも見飽《みあ》きている景色だが、きょうはまた馬鹿に美しいと思った。
 秩父《ちちぶ》連山雄脈、武蔵アルプスが西方に高く聳《そび》えて、その背後に夕映の空が金色にかがやいている、それから東南へ山も森も関東の平野には今ぞ秋が酣《たけなわ》である、弥之助のいる建物は武蔵野の西端の広っぱの一戸建の構えになっている。南に向いている弥之助の眼の前は畑を通して一帯の雑木林が続いて、櫟《くぬぎ》楢《なら》を主とする林木が赤に黄に彩られている、色彩美しいと云わなければならぬ。その雑木林から崖になっている多摩川沿いに至るまでの間がここの本村になっている、東西は一里、南北は五町|乃至《ないし》十町位のものだろう。そこで多摩川を一つ越すと、それが前にいった通り秩父山脈の余波が、ほぼ平均した高さを以て何里となく東へ足を伸ばしている、だから百姓弥之助の建物のある地盤から見ると「ここは高原の感じがする、山を下に見る」といって山住居《やまずまい》をしていた或る学者が来て、不思議そうに眺めたことがある。無論高原というほどの地点ではない、武蔵野の一角に過ぎないが、例の秩父山脈の余波の山脚が没入している山の裾《すそ》よりも原野が高くなっているところを見ると、成るほど薬研《やげん》のような山谷から来た人の眼には高原と云った感じがするかも知れない。
 さて、百姓弥之助はいつも見飽きているこの植民地のような風景が、今日はバカに美しいと感じながら、暫《しばら》くボンヤリと眺めていると、崖下の本村の方から楽隊の音が聞こえ出してゾロゾロと人が登って来る、続いて軍歌の音が送り出されて来る。
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天に代りて不義を討《う》つ
忠勇無双の我が兵は
歓呼の声に送られて
今ぞいで立つ父母の国
…………
[#ここで字下げ終わり]
 続いて笹付
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