或は能率化して行けば、それでよろしいのでは無いか、例えば下肥《しもごえ》の如きも、これを相当科学化して乾燥した固形物とするか、或は粉未として、感じにも取扱いにも効能にも相当の増進率を持たせる、それから蒔物《まきもの》の調節、麦を蒔いたあとへ陸稲とか、そのあとへ何とか、然るべく排列の適否を研究し、金を懸けないで頭と労力を上手に働かして、成功を見るようには出来ないものか。
弥之助はこの新百姓に取り懸かる時、この事を一農者に尋ねて見るとその人は、言下にこれを斥《しりぞ》けて言った。
「それは駄目です、今時の百姓はうんと肥料に金を懸けて、うんと収穫をあげるようにしなければ、やって行けないです」
「でも昔の農業は、そう金を懸けずとも立派にやって行けたではないか」
「そりゃあ昔と今では違います、昔はせいぜい一反歩二石も取れれば上々だったのが、今は五石取り十石取りなどという事になって居るです、昔とはてんであがりが違います」
「でも同じ土地で同じ人間の力で、昔は金をかけないでやって行けたのだから、今もそれで、やればやれない筈はないではないか」
「肥料をやらなければ、第一土地が痩《や》せてしまって収穫がいよいよ低下するばかりです、どうしても肥料に金を懸けなければ駄目です」
「肥料をやらないで野育ちにという訳では無い、成可《なるべ》く金肥をつかわないでやれないか如何《どう》かという問題である、出来るだけの肥料は自給して、金肥をつかわない方針でやって行く方法は無いかという問題だ」
「そうですね、それは無い事もないです、肥料を多く使わず土地を痩せかさないで、相当の収穫を見て行こうというには、それはなる可く土地を休養させるという方法をとる外はないでしょう」
「そこです、その土地を酷使せず適度の休養を与えて、そのかわり金肥を節約して、農業がやって行けないものかどうか、昔の農業はそれであったのでしょう」
「そうすれば、士地と肥料の調節は出来るとして、問題はその土地ですね、今の農家は適度の休養をさせる程、土地の余裕を持ちません、その点は昔のように、人口が少く比較的に土地が豊富であった時代とは違いますからね」
弥之助は心|密《ひそ》かに考えて居る、どうか自分は一つ、その農業の商業化でなく、農業の純農業の立場を行って見度《みた》い、つまり「土地を酷使せず、相当の休養はさせるが、美食は与えない」とい
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