い、土も耕土だから庭にも余りさびもつかないし、風が吹けば飛び上るし、決して住みよい気分のところではないが、然し土地の生産力としては肥えたものであり、徳川将軍には縁故が深いし、柳沢吉保などもこの地に封ぜられたこともあり、秋元家などもここへ封ぜられた時は六万石の表高でその倍以上の実収があったと称せられ、かつ江戸へは近いし、有力な富藩であったとはうなずかれるが風景としてはこんな平凡なところも少なかろう。
 それから西武電車で帰途花小金井駅で下りて畑と山林の間を十丁ばかり歩いて小金井土手の葉桜へ来た、ここからまたバスを待って境駅へ出て中央線で帰ろうと思っているうちに、東京帰りの円タクが舞い込んで来たから談じこんで五十銭で阿参堂まで飛ばして帰りついたのが午後の五時であった。



底本:「日本随筆紀行第五巻 関東 風吹き騒ぐ平原で」作品社
   1987(昭和62)年10月10日第1刷発行
底本の親本:「中里介山全集 第十八巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年12月発行
※〈〉の中は小書きで二行に渡っています。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年6月19日作成
青空文庫作成ファイ
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