う坊さんは春日の局と並んで黒衣の宰相として家康の有力なるお師匠番と立てられているが、家康がどれだけこの坊主の指導を受けたか、この坊さんの俗権に及ぼす勢力がどのくらいのものであったかということはもう一応研究して見る必要がある。
 それから東照宮へ行った、大した建築ではないががっちりしたものである、ここの拝殿に例の岩佐又兵衛の国宝歌仙額があるが鍵ががっちりして開かない、階段を下りて社務所のような処へ行って見ると、そこに大丸髷の絵看板をあげて女髪結を業としている、どうも社務所で女髪結はちとへんだ、ここで宝物を見せて貰えないかと頼むと、おかみさんがそれは御祭礼の時でなければ公開しないが、お望みならば連雀町の稲葉さんというのへ行ってお頼みなさると鍵をもって来て見せてくれます、その稲葉さんがここの神主様だという、連雀町では大変だ、とこっちは神田の連雀町とばかり受取ったが、やがてこの川越にも連雀町というところがあるのだと気がついたが、然し今日は時間を惜しむからわざわざという気にはならない、そのままここを出て中院の方へ向った。
 喜多院はもと北院と書いたもので、ここには北院、中院、南院の三大寺院があっ
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