みじ山御殿そのものでありとすれば徳川初期の有数な建築史料の一つであるが、うち見た処如何にも質素で柱なども太《はなはだ》しく奢った点は更に見えない、これが天下の大将軍の城内の御殿かと疑われるほどだ、史料建築としてはもう一吟味して見なければならないが、印象としては徳川初期の三河武士の質素さをよく表わしたものと云ってよろしい。
それから、種々の宝物がある、家康の武器だの日用食器だのというものが相当にあるが、そのうち一番眼についたのは家康着用という、麻の小紋の着物だ、これを見ると丈が短く肥った色の黒い、大庄屋の親分といったような家康の風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》が眼の前にちらついて来る。
それから三代将軍以来この寺へは代々将軍が太刀を納めることになっているが、家光は「友成」で、これは今九段の遊就館に陳列してあるそうだ、それからまた有名な国宝の職人絵づくしは今報知新聞で催している国宝展覧会に貸してあるとのこと、それでは岩佐勝以の三十六歌仙を拝観は出来ないかというと「あれは当院のものではありません、この隣りの東照宮の所蔵品です」とのこと、喜多院の岩佐勝以とばかり耳
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