あるとか、そうでなければ、身たとえ名門良家に生れたにしてからが、放たれ、棄てられたと同じ月日の下に置かれた人の子が、こういうところへ送り込まれるのだ。あわよくば名僧智識にもなれようけれど、それは千万人に一人。そういうわけだから、存外、この買出しは楽かも知れない。そんなような謀叛気がお角さんの頭にむらむらと湧いて来たのは、実行の如何《いかん》にかかわらず、商売商売の冥利《みょうり》だから仕方がありません。
だが、それともう一つ異った人情味に於て、お角親方は、あの小僧をつれ出して、友公と引合わして兄弟名乗りをさせてやりたい、そうすれば二人も喜んで、こっちも功徳になる――なんぞという人情味も大いに湧いているのです。これとても独断千万なことで、似ているからといって、それが兄弟ときまったわけのものではないが、さすがのお角さんの頭も、今日の瞬間には、想像と実際とが混乱していると見える。
九
三位一体を醍醐《だいご》へ向けて送り出して後の不破の関守が、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を端近く呼んで、こう言いました、
「がん[#「がん」に傍点]ちゃんや、洛北の岩倉村に大バクチがあるが、行ってみる気はねえか」
「そいつは耳寄りですねえ」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が、耳から先に、関守氏の膝元へ摺《す》りつけて行きました。
普通の青年ならば、バクチなどという言葉を聞いてさえ苦々しく思うのですが、そこは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百ちゃんのことですから、それと聞くや、耳よりだと言って身体《からだ》を摺りつけたのは浅ましいものです。それと知りながら、浅ましい心に誘惑をかけた不破氏の挙動も、断じて君子の振舞でないと言わなければなりますまい。
「行ってみな、お前は今まで関東のバクチは相当に功を積んでいるとのことだが、こっちの方の大バクチは見たことがあるまいから、後学のために見て置きなせえ」
「有難い仕合せ」
ますますよくないたくらみです。後学のためにも、前学のためにも、バクチなどは見学して置かなくてもよろしい。むしろ、そういう見学は避けた方がよろしい、避けしめるのが、先輩のつとめというものだが、ここで嗾《けしか》けるようなことを言う関守氏は、その言葉つきからしてわざと下品に砕けて、
「行くなら行ってみな、資本《もとで》としてはたんと[#「たんと」に傍点]もねえが――ここに二十両ある」
胴巻ぐるみ、百の前へ投げ出したのは、いよいよ怪しからぬことで、行って見ろと嗾けた上に、資本金までも供給するのですから、シンパ以上の、むしろ共謀に近いほどの不逞《ふてい》なのです。ところががん[#「がん」に傍点]ちゃん、否やに及ばず、早速二十両の胴巻を頂戴に及んで、
「善は急げ、これから早速飛んで参りましょう。ところでその洛北岩倉村てえのはいったい、どっちの方向で、当日のトバの貸元てえのは、どういう顔でござんすかねえ、そこんところをひとつ、伺って置きてえもんでござんさあ」
ロクでもない片腕で、早くも二十両の胴巻ぐるみ懐ろへ捻込《ねじこ》みながら、中っ腰になって、善は急げと来たが、その善なるものを急ぐにつけても、善戦をしなければならない。善戦をするには、彼を知り、我を知らなければならない。そこで相手方の地の理と、相手方の親分大将の身分について、相当の知識を持たなければならないというのは、この男として相当の心づかいでありましょう。
「うむ――洛北岩倉村というのはな」
そこは不破の関守氏も抜からぬもので、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百のために、洛北岩倉村の地理を説くことかなり詳《つまびら》かなものであります。
その説くところによると、これから、日岡の峠を通って蹴上粟田口《けあげあわたぐち》へ出るが、三条橋は渡らずに、比叡山の方へとずんずん進んで、それ、名代の八瀬大原《はせおおはら》の方へ行く途中のところにその岩倉村というのがある。そこの岩倉村は岩倉中納言の領地で、大バクチはその中納言殿の屋敷の中で行われるのだ――という説明を皆まで聞かずに、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が、急に白けきった面《かお》をして開き直り、
「へえ、上方じゃあ中納言様がバクチを打つんでげすかエ」
「いや、中納言殿がバクチを打つのではない、その岩倉村の山ふところにある中納言殿のお屋敷の中で、大トバの開帳が行われると言うのだ」
「へへえ、考えやがったな、江戸でも御老中の屋敷の中なんぞで、そいつが、しょっちゅう御開帳になるんですよ、仲間《ちゅうげん》や馬丁《べっとう》が、寄ってたかって御老中のお馬屋の中で、しゃそじょうこ[#「しゃそじょうこ」に傍点]てやつをきめこむんでさあ、御老中でさえその位なんだから、中納言様ときちゃあ豪勢なもんだろう、フリにこっちとらが行ったって歯が立つめえがなあ」
と、いささかゲンナリしたのは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百に、中納言は少し食過《しょくす》ぎる。中納言の方でも、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百などはあまり食いつけまい。そこで、百が、つまり位負けがしてしまった様子を不破氏が見て取って、
「中納言だからって、そんなに慄《ふる》えるこたあねえぞ、百五十石の中納言様だ」
と言って聞かせました。
「百五十石でげすか、位は中納言で、お高が百五十石でげすか、そんなこたあござんすまい、そりゃあ間違いでござんしょう」
「間違いではない、摂家筆頭の近衛家《このえけ》だって、千石そこそこだ」
「セッケはそうかも知れませんが、中納言様が百五十石なんてえな受取れねえ、水戸も中納言でござんしょう、三十五万石でげすぜ、仙台も中納言でござんしょう、六十四万石でげすぜ、百五十石ではお前さん、馬廻りのごくお軽いところじゃがあせんか、そんなはずはございませんよ、おからかいなすっちゃ罪でござんすぜ」
「からかうわけではないが、まあ、そんなことはどうでもいいから、行ってみろよ、そのトバへ。とても面白い面が集まるんだそうだ、全国的にな。全国的にそのトバへ面の変った鼻っぱしの強いバクチ打ちが集まって、ずいぶんタンカを切るそうだ。だから、行ってみな、変った人相を見るだけでもためになるぜ。手前も甲州無宿のがんりき[#「がんりき」に傍点]の百とやら、相当啖呵の切れる男じゃねえか、なにも中納言と聞いて、聞きおじをするような柄でもあるめえ」
不破氏に、こんなふうに油をかけられて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百がまた躍起となりました。
「ようがす、行きますとも、そう聞いて後ろを見せた日には、甲州無宿が廃《すた》りまさあ、一本だけ不足だががん[#「がん」に傍点]ちゃんの腕のあるところを、その洛北岩倉村というので見せてやりてえ、さあ出かけましょう」
ここで、張りきって力み返ったのは現金なものです。
「まあ待て、今からでは遅いから、今晩は泊って明日」
この時、もう日の暮れ方で、関守氏は炉辺の火を取って、座右の行燈《あんどん》に移し入れました。
十
逸《はや》るがんりき[#「がんりき」に傍点]を控えさせて置いてから、不破の関守氏は、醍醐から帰ったはずの女王様の御機嫌伺いにと本邸の方へ伺候《しこう》しましたが、ほどなくわが庵《いおり》へ戻って来てから、改めて控えのがんりき[#「がんりき」に傍点]を呼び出して、わが庵の炉辺の向う際へ据《す》えつけ、さて言うよう――
「明日は、しっかりやってくれ、がんりき[#「がんりき」に傍点]名代《なだい》の腕を上方衆に見せてやってくれ、頼むよ。時に、その前戦《まえいくさ》の小手調べに、ひとつそのバクチというやつの本格を、拙者に見せてくれまいか。拙者通俗の概念というはあるが、実際の経験というはない、予行演習をひとつこの場で見せてもらえんものかなあ」
「合点《がってん》でござんす――ずいぶん、がんりき[#「がんりき」に傍点]の腕のあるところをお目にかけやしょう」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、いま一方だけの手を懐ろの中に差し込んだと見ると、ズラリ引き出した自前の胴巻、それを逆さにふると、一つの小箱が飛び出しました。小箱の大きさ全長が一寸五分、幅が一寸足らず、関守氏が拾い上げて見ると、「下方屋」と書いてある。がんりき[#「がんりき」に傍点]が受取って、パチンとその小箱の合せ目を外《はず》すと、コロがり出した賽粒《さいつぶ》というものが大小四個。大小というが、その大なるも三分立方はなく、以下順次四粒、中なると小なるはそれに準じて、小豆《あずき》に似たような代物《しろもの》まであります。
「イヤに、ちっぽけな賽ころだねえ」
と関守氏が言う。百はそれをもとのように小箱に並べながら、
「これは商売人《くろうと》の懐賽《ふところざい》ってやつで、駈出しには持てません、さて早速ながら本文に移りますが、バクチというやつも、その種類を数え立てると千差万別、際限はねえんですが、まず丁半《ちょうはん》、ちょぼ一[#「ちょぼ一」に傍点]というやつがバクチの方では関《せき》なんで、それにつづいて花札、めくり、穴一《あないち》、コマドリ、オイチョカブ……そこで、丁半を心得ていれば即ちバクチを心得てるも同様というわけなんでげす。先以《まずもっ》て、物の数というやつは、たとえ千万無量の数がありましょうとも、これを大別して丁と半とにわける、丁でない数は即ち半、半でない数は即ち丁、世間に数は多しとも、この二つのほかに種はございません。これを人間にたとえて申しますてえと、人間の数は天の星の数、地に砂の数ほど有るにしましてからが、種をわければ男と女、この二つに限ったものでげす。すなわち男でない人間は即ち女、すなわち女でなければ即ち男、というわけで人間の区別には、この二色しかござんせんよ、たまにゃ、ふたなり[#「ふたなり」に傍点]なんていうのがあるが、あれは出来そこないなんで、本来は有るものじゃございません。ところで数というものも、天地の間に、丁と半とこの二つだけに限ったもので、それを当てるのが即ちバクチの極意《ごくい》なんでございますねえ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]が講釈をはじめました。これは驚くべきことで、手の人、足の人であったこの野郎は、今晩は口の人に転向してしまって、まかり間違えば、ここでもお喋り坊主の株をねらう奴が、やくざの中から現われようとは、ところがらとはいえ、ふざけた野郎と言わなければならぬ。これを、
「ふん、ふん」
と聞いているから、この手のふざけた野郎が、いよいよいい気になって、
「さあ、これは数の取引でござんすが、今度は物でござんすよ、この賽っ粒というやつが、バクチの方では干将莫耶《かんしょうばくや》の剣《つるぎ》でござんしてな、この賽粒の表に運否天賦《うんぷてんぷ》という神様が乗移り、その運否天賦の呼吸で黒白《こくびゃく》の端的《たんてき》が現われる」
「大したものだ!」
関守氏が気合を入れたもので、がんりき[#「がんりき」に傍点]がいよいよ乗気になり、
「ごらんなせえな、額面が六個あって、一から六まで星が打ってある、一をピンとも言い、六をキリとも申しやす、さてまたこのピンからキリまでに、天地四方を歌い込んで、一|天《てん》、地《ち》六、南《なん》三、北《ほく》四、東《とう》五、西《せい》二とも申しやす、まずこの六つの数を、丁と半との二種類に振分けること前文の通り、丁てえのは丁度ということで、ちょうど割りきれる数がとりも直さず丁、割って割りきれねえ半端《はんぱ》の出るのが半――つまり一《ピン》は割りきれねえから半、二は割りきれるから丁、三が半で、四が丁、五が半ならば六が丁、という段取りなんで、おっと待ったり、このほかに五の数だけはごと言わずにぐと申しやす、五《ぐ》の目《め》というやつで――こうして置いて、この賽ころを左の手にこう取って、右に壺をこう構える、手が足りねえから恰好《かっこう》がつかねえ、旦那、その湯呑を一つお貸しなすっておくんなさい」
と言
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