を与うれば、イヤ、五千とも望むまい、二千の精兵を与うれば、天下のことを定めて見せるがなあ」
と言って、両士は相顧みて憮然《ぶぜん》たるものがありました。
 今、京中に於て、近藤勇の名は鬼の名と等しい。その実力はほぼ諸侯と等しいものがあるが、何を言うにも、二人は武州の一塊の土民の出であって、譜代があるわけではない、羽翼があるわけではない、会津を背景にして、その配下僅かに二百人足らず、やがて会津が百万石になれば、近藤も十万石だ、などとのし上げるのは、取るに足らぬ沙《すな》の上の功名話で、会津どころか、徳川宗家そのものがあぶない今日、彼等とても、百万石や十万石の夢を見ながら請負仕事をしているわけではない。近藤勇としても、功名利禄以外に、やむにやまれぬ慷慨を感じているものがあるのです。
「織田信長もいけないよ、これほどの城を信忠に預けて、市中の本能寺あたりへ手ぶらで泊るということがあるものか、この城へ納まってさえいれば、明智如きに歯が立つものではない、名将といえども運の尽くる時はぜひのないものだ、まして、名将に非《あら》ざる凡将に於てをや」
 近藤がこう言いますと、土方がそれを受けついで、
「慶喜公も、ドッシリとここに納まって動かなければいいに、ややもすれば動きたがって腰が据らない、悲しいかな、今の徳川に、この二条城へ坐りきれる人がいないのだ」
 かくて二人は、しきりに天主台の上から、飽かずに洛中洛外の風景と、二条城の規模を見渡しておりましたが、
「京都に於ける二条の城と、江戸に於ける東叡山とは、形式が違って立場は同じだ、この二条城を守りきれるや否やで、京都に於ける徳川の勢力が決する、東に於ては、よし江戸の城が落つるとも、東叡山に於て徳川旗下の意気の死活が示されるのだ」
と言いました。二人の慷慨の語気で察すると、この城を二人に任せる限り、幕府の社稷を死守してみせる意気込みは充分だけれども、その貫禄の備わらざることにじだんだ[#「じだんだ」に傍点]を踏んでいるようにも見られます。且つまた、これだけの備えがあって、人がないことを、三百年の徳川のためにも大息しているかのようにも見られます。

 無名島に上陸した無名丸の乗組のうちに、書き漏《も》らされた存在として、柳田平治と、金椎《キンツイ》とがあります。
 柳田は、最初から駒井船長が、虫の好かない唯一の存在でありましたから、つとめてこれに近づこうとしない。そのくらいだから船中の誰もに親しみを持たないし、船中の誰もがまたどうも山出しのブッキラボウな青年で、且つ好んで長い刀をひねくり廻したりなどするものですから、気味を悪がってのけ者あつかいにしている。ただ一人田山白雲にだけは親しみを持つものですから、田山と二人が、別棟をこしらえて、植民地に住むというような有様です。しかし、柳田は田山ほどに世界を知らないし、また超世間の美術に没頭するという術《すべ》を持たないから、田山のために写生旅行の助手をつとめようという気にもならず、黙々として働くだけを働き、その合間には、長い刀を振り廻して、居合の独《ひと》り稽古をしているだけのものです。
 柳田がすっぱ抜きをしているところへ、白雲が通りかかると、それに引き入れられて、同じように居合を試みてみたり、それが嵩《こう》ずると、真剣で型を使ってみたりするのでありますが、また時としては真剣や白刃を取らずに、素手でやわらの乱取《らんど》りを試むることなどがあります。ちょうどその場へ七兵衛が来合わせた時などは、非常な興味を以てながめていることもありますが、武術にかけてはさしもの田山白雲も、この青年をあしらい兼ねているのであります。
 そこで、七兵衛が思いつきました。今後、一週に二三回ぐらいずつ、この青年を指南役として、島の人のすべてに武芸を仕込んで置けば、なにかの役に立つ。そう思って、そのことを田山白雲に相談すると、白雲は直ちに同意し、柳田平治も、好きな道であり、自分も練習になるから、異議なくこれを引受けて、早くもこの島に、一箇の武術道場が出来上るということになりました。
 今日は大へん暑いものですから、田山白雲と、柳田平治は、一番、泳ごうではないかと言って、海へ飛び込みました。二人とも、水練は達者です。さんざんに泳いで陸へ上り、裸のままで砂ッパに寝ころんで話をはじめました。
「田山先生、日本はこれからどうなるのです」
「そうさなあ、今頃はどうなってるかなあ、西と東にわかれて、戦争でもおっぱじめていはしないかなあ、わからんなあ」
「日本で東西が争うとなると、どっちが勝つのですかねえ」
「それもわからんなあ、日本にいるとそういうことにすてきに気がもめたが、こうして大海へ乗り出して来てみると、そんな気持がカラリとしてしまうのは不思議だね」
「田山先生、あなたはもう日本へ帰らないのですか、帰りたく思いませんか」
「帰らないと断言はできないねえ。しかし、ここまで乗り出して来た以上は、こっちで相当成功して、向うの妻子をこっちへ呼び寄せたいという希望の方が先だねえ。だから、この無人島が永住の地だとも思っていないよ、ここへ足がかりが出来たら、この先の方には大陸があって、そこには日本よりも何倍も開けた国があるのだから、そっちへ行って、第二の山田長政となることも愉快だと思っている」
「僕も、そういうことを考えています、僕はそんな開けた国よりも野蛮人のウンといるところへ行って、そいつらをみんな征服して、王になりたいです、こんな無人島では物足りないです」
 こんな話をしていたが、やがて、むっくりと跳び起き、裸のままで二人は椰子林の中を歩き、己《おの》れの小屋へと帰りに向ったが、椰子の林の中のとある木蔭に、小さな人影が一つ、うずくまっているのを見ました。
「ああ、金椎だ」
と言って、二人は遠のいて避けて通るようにしましたけれども、避けなかったところで、相手は気がつくはずもなかったのです。
「相変らず、イエス・キリストを信じているよ」
と田山白雲が言いますと、柳田平治が、
「ちぇッ、キリシタン!」
と、噛《か》んで吐き出すように言いました。



底本:「大菩薩峠20」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年9月24日第1刷発行
   2002(平成14)年2月20日第2刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 十二」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第十二巻」1971(昭和46)年7月30日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年5月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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