むし》同様
外夷に笑われ京都はしくじる
金がなくなる、世の中乱れる
お口はすくなる
ここらで一ト口、湯でも呑むベイ
スチャラカ チャカポコ
チャカポコ スチャラカ
スチャスチャ チャカチャカ
チャカポコ チャカポコ
スチャラカ チャカポコ
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チョボクレとなり、チョンガレとなり、阿房陀羅経《あほだらきょう》となって、あいの手には木魚をあしらい、願人坊主即ち浮かれ坊主となって、この長物を唄い済ました方も済ましたものだが、聞く方もよく聞いたものだ。聞き終ってから主膳は妙に気が滅入《めい》りました。
それは、チョボクレとして文句が練れない、言葉が野卑に過ぐる、そのくせ、学者ぶったところが鼻につくものがある、天下の諸侯に八ツ当り、罵詈讒謗《ばりざんぼう》を極めたそれを不快に思うのではありません。痛快に罵倒を試みたことに、無限の哀愁がある。それはこのざれ歌を作った奴が、罵《ののし》らんがために罵ったのではない、火のつくような徳川の天下の危急を見て、救いの手を絶叫している、その声だとしか聞かれなかったからであります。そうして、かような罵倒の声に事寄せて、祖先の恩顧人心の義侠に訴えて、この時局の火消し勢に加勢を求むる悲鳴絶叫だとしか聞けないからであります。皆さん、お蔵《くら》に火がついて焼死にますから早く来て助けて下さいようと、哀鳴号泣することの代りに、こんな歌が飛び出したものであると、それを感じたから不快になり、もう、今日はこれまで、江戸見学の第一日程はこれで終る、今日は立帰って、明日また出直しということで、願人坊主には若干の祝儀を取らせて、その日の帰路に就きました。
六十九
さてその翌日、改めて出直した神尾主膳の江戸再吟味日程第二日。今日は、芝の増上寺へ参詣を志しました。
御成門まで来ると、一隊の練兵が粛々《しゅくしゅく》と練って来る。主膳も勢い、道を避けて通さなければならぬ。
「菜っぱ隊にしては出来がいい方だ」
いずれも見上げるような体格。幕府もエライものだ、いつのまに、こんな立派な歩兵をこしらえた――感心して見ていると、渡り仲間《ちゅうげん》が言う、
「あれが名代の六尺豊かの歩兵さんでござんすよ」
なるほど、六尺豊かの歩兵さんとはよく言った、名実相叶うている、よくもこう大兵《だいひょう》ばかり揃《そろ》えたものだ、この点、また少々感心ものだと見ていると、
「もとはみんなお陸尺《ろくしゃく》のがえん[#「がえん」に傍点]者なんですが、ああして見ると立派な兵隊さんでござんすねえ、馬子にも衣裳とはよく言ったもので――」
言わないことか、六尺と陸尺との混線だ、すなわちこれは、このごろ江戸の市中に溢れていた諸国諸大名の陸尺、即ち籠舁《かごかき》の人足の転向だ。
諸大名お抱えの陸尺は、体格抜群のものを選《え》りに選り、各大名屋敷が自慢で養って置いたが、このごろ、諸大名の参覲交代《さんきんこうたい》が御免になって、奥方を初め、江戸住居を引上げて国へ帰れるようになってから、この陸尺が失業した、アブれてみるとロクなことはしない、盛り場をユスったり、見世物をコワしたり、良家へ因縁をつけてみたり、手に負えないところを幕府の陸軍頭が買込んで、浜から千人、こちらから千人、それに洋服を着せて団袋《だんぶくろ》をはかせてみると、見かけはこの通り堂々たる国家の干城《かんじょう》、これを称して六尺豊かの兵隊さんとは誰が洒落《しゃれ》た。
それを見送った神尾は、なるほど、見かけだけは立派に六尺豊かの兵隊さんだが、渡り者の寄集め、いざという時、役に立てばいいが、と冷笑して、さて、増上寺の参詣も無事に済ませて、山門を出て見ると、今度は赤羽橋の方から息を切って飛んで来る裸男。褌《ふんどし》一つで木刀を一本、その真中に状箱を結《ゆわ》いつけたのを肩にかついでいる。そのせかせかとする息の合間に、時々大声でわめいて来る。主膳とすれ違った時に、耳を澄ましてみると、
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ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やって来た、一貫占めたか、セイゴどん、しゃか、しゃか
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何のことだかわからない。すれちがってしまってから、また振返ると、
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ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やってきた、一貫占めたか、セイゴどん、しゃか、しゃか
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「何だい、あれは」
「薩摩飛脚でござんしょう」
ナニ、薩摩、その薩摩がどうした、憎い奴だ。
このごろ、江戸の市中の火附強盗の帳元は、皆その薩摩の為《な》す業だと言っている。この増上寺に近いところに、その市中の山賊強盗の巣、薩摩屋敷があるはずだ、よし、ひとつ、その巣を見届けてくれよう。
神尾は、直ちに爪先を四国町の方へと向けました。なにかと面憎《つらにく》い薩摩屋敷へ、仕返しに行くのではない、見届けに行くのだ。
まもなく、その三田の四国町、薩州邸の表門を横目で睨《にら》んで神尾主膳――
「薯《いも》の奴め、蔓《つる》を延ばしたものだ、もとこの屋敷のこっち側は土佐の屋敷だったんだが、それを薩摩が併合しちまやがった、そうして、今やこの邸が江戸|攪乱《こうらん》の策源地となっている、退治しなけりゃいかん、公然たる強盗の巣窟を将軍の膝元で見過して置く法はない」
こう思って睨みつけてはみたが、神尾の力で、今どうしようというわけにもいかない。いまに見ろ、眼に物見せてやる時が来るぞ。
薩摩という奴、怪しからぬ奴だ。松平薩摩守で、徳川御一家待遇にあるのみならず、将軍とは切っても切れぬ縁組みの間柄であるのに、幕府を軽蔑しきっている。薩摩が増長しているというよりも、幕府の役人共に意気地がないからだ。幕府の上役共、何か大事が起ると、自分の力で決断し兼ねて、薩摩へ持込む。薩摩守がこうだと言えば、大抵はその方に事がきまる。歯痒《はがゆ》い。というのは、老中共が三家あたりへ押しが利《き》かない、そういう時は、薩摩守も同意でござる、と言うと、三家も屈伏するというていたらく。だからいよいよ薩摩を増長させる。このごろの増長ぶりでは、どうやら徳川家を倒して、次の天下を乗取ろうとは言語道断。いずれはこの邸からブッつぶしてかからぬことには、天下の見せしめにならぬわい。
そういうことを、神尾が心肝にこたえつつ、そこを引返して品川へ出ると、海岸の茶屋で、蛤《はまぐり》を焼かせて一杯飲みながら、海を見ると、さすがに気がせいせいするが、お台場を見ると、また癪《しゃく》だ。いったい、このお台場を外様《とざま》の大名に任せたということが、すでに徳川の名折れだ。痩《や》せたりとも、枯れたりとも、徳川の手で造り、直参の旗で固めなけりゃならん、と我々も若い時にがんばったものだが、幕府の力が足りない。この台場なんぞも、薩摩の力を借りてやり上げたものだ。
これが出来上った時に、薩摩守が、ぜひひとつ、老中の阿部伊勢守に見てもらいたいとのことで、伊勢守が大目附あたりをしかるべく召しつれて見に来た時には、薩摩の太守が門の表まで出迎えて、ていねいな挨拶だが、伊勢守は頭を下げない、ただ会釈ばかりで玄関へ通った。何といっても、まだ天下の徳川の老中だ。世間では、薩摩の太守、薩摩の太守とあがめ奉るが、見受けるところ、老中に対してはあの通りだ。老中もまたあれだけの権式を保ち得られたものだが、僅かの間にそれもガタ落ち、薩摩の藩邸が江戸荒しの山賊の策源地と公認されながら、それに一指を加うることができないとは……
神尾は憤《いきどお》りを含みつつ、小酌を傾けました。
七十
さてその次の夜は、またおぼろ月の大原の里。
おぼろ月というのは、春に限ったものだが、ここ大原の里には、秋も月がおぼろに出ると、それに浮かれて二つの蝶が寂光院の塔頭《たっちゅう》から舞い出でました。
蝶というには少しとう[#「とう」に傍点]が立ち過ぎている嫌いはあるが、雌蝶であり、雄蝶であり、それが月に浮かれて庵《いおり》を立ち出でたことは間違いがありません。
「大原へ来たら、美しい尼さんでも出て来るか、そうでなければ、阿波《あわ》の局《つぼね》の後身にでも見参ができるかと、それを楽しみにして来たら、餓鬼草紙から抜け出したような婆さんが出て、因果経のおさらいをして見せたには、一時《いっとき》うんざりしましたが、こうして、苦労人の昔の美しい人と一緒に歩いてみると、悪い心持は致しません」
と言ったのは、とうの立った雄蝶でありまして、昨夜以来、無条件の逗留を許された盲目のさすらい人の声であります。
見れば、今までのように、コケ嚇《おど》しの覆面や、白衣《びゃくえ》はかなぐり捨てて、さっぱりした竪縞《たてじま》の袷《あわせ》の筋目も正しいのを一着に及んで、帯も博多の角なのをキュッと締め込み、刀もなく、脇差もない代りに、手には時ならぬ団扇《うちわ》を携えて、はたはたと路傍の草花を薙伏《なぎふ》せながら先に立って、そぞろ歩きをしています。
若々しい老尼もまた、いい気なもので、すらりとした尼さんの姿ではあるが、この尼さんは、袈裟《けさ》もなく、法衣《ころも》もなく、数珠《ずず》さえも手にしていない代り、前の人と対《つい》な団扇を持って、はたはたと路傍の花を撫でながら、
「花尻の森へ行きましょうよ、忍踊《しのびおど》りを見に行きましょうよ」
「何ですか、そこは……花尻の森というのは」
「源太夫の屋敷あとなのです」
「その源太夫と申しますのは?」
「松田源太夫のことでございますよ」
「松田源太夫――あんまり聞いたことのない名じゃ」
「源頼朝公から、建礼門院様お目附のために差しつかわされた鎌倉の御家人《ごけにん》の名でございます、それがあの森に屋敷を構えていて、建礼門院様のお目附をしていました」
「それは古い昔のことだなあ、そこに今晩お祭りがあるのですか」
「森の中に竜王明神の祠《ほこら》がございましてね、今晩はそこで忍踊りがございます」
「なるほど、唄が聞えますな」
「さあ、しばらく、そのままで、あの唄を聞いていらっしゃい」
「節《ふし》は聞えるが、詞《ことば》はわかりません」
「森へ着くまでの間に、唄のおさらいをして上げますから、お聞き下さい、あちらの調子に合わせて、わたくしが唄って上げますから」
森の中で起る節を伴奏にして、水々しい尼さんは、こちらの耳にもはっきりわかるように、忍踊りの歌詞《うた》を唄い出しました。
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わが恋は、小倉《おぐら》の里のひる霞
つもりつもりて、はれやらぬ
忍踊りを一踊り
われが身は、君を思うて浮かるるも
行くもかえるもうつつなや
忍踊りを一踊り
忍び行く、のべの川瀬は浅かれよ
君の契《ちぎ》りは深かれよ
忍踊りを一踊り
君様に、ここに一つのたとえあり
清滝川も濁りそろ
なにとて君様つれなさよ
忍踊りを一踊り
君様を、思いかけたる庭の花
うらの妻戸を忍び入る
忍踊りを一踊り
忍び入り、君の枕に手をかけて
ここでこの夜を明かせかや
忍踊りを一踊り
今ははや、思いし恋いしがかの[#「かの」に傍点]てそろ
枕屏風《まくらびょうぶ》にかたよけて
物語りは限りなや
忍踊りを一踊り
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若々しい老尼は、忍踊りの声を逐一《ちくいち》、遠音の伴奏に合わせてうたい出したが、やがて手をさし、足をのべて、おのれも踊りながら歩いて行く。
「手ぶりなら、こちらへきてござんせえな、トトさんも、カカさんも、ニイも、ネエも、ボーも、マーも、みんな踊ってござんすわいなあ」
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やれやれよういな
声が欲しいわいな
「ちょいとこなあ」
よう立つ声が
声で人をや、迷わすは
しょんがいな
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これや名代《なだい》の大原女《おはらめ》、木綿小紋に黒掛襟の着物、昔ゆかしい御所染の細帯、物を載せた頭に房手拭、かいがいしくからげた裾の下から白
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