ごころで言ったのに、頭ごなしにやられたので、何がお気に召さなかったのか、それがわかりません。見れば神尾は三ツ眼で、行列を睨《にら》んだまま、怒気と、軽蔑を満面に漲《みなぎ》らせている。
馬鹿! 時勢が険悪だと言ったところで、天から矢玉が一つ降って来たわけではないぞ、地から薩長が湧いて来たわけではないぞ、それに今から食糧の心配をして、どんどん焼を食いたさに、こうして早朝に時間をつぶし、仕事をつぶして、行列を作るとは何たる醜態だ! これが江戸っ子の仕業か! 武士は食わねど高楊枝も古いものだが、およそ江戸っ子の全部が武士でないまでも、江戸っ子は江戸っ子としての恥を知らなければなるまい。こいつら、江戸っ子の皮をかぶった江戸っ子ではあるまい、他所《よそ》から流れ込んだ江戸っ子の居候共だろう。山猿や、百姓共が、ガツガツしてこのザマなんだ、少なくとも、二代、三代、江戸の水を飲んだ奴に、こんな恥を知らぬ奴はないはずだ。面《つら》を見てくれよう、面を見ればわかる、江戸っ子の面よごしめ!
神尾主膳は、こう思うと、ズカズカ近寄って、その行列の面《つら》を二つ三つ、つかまえて調べてみましたが、
「御安直な面ぁしてやがる、大方、四国猿か、篠熊《ささぐま》の親類筋だろう」
こう言って、悪態をつき、唾を吐いて歩き出したものですから、渡り者の老仲間《ろうちゅうげん》も、これに続きました。
歩きながらも、怒気忿々《どきふんぷん》たる神尾は、繰返して胸の中で、
「江戸っ子も下落したもんだなあ、だが、この恥知らずは、江戸っ子ばかりの罪じゃねえぞ、政治が悪いんだ、まだ、天から矢玉が降って来たわけじゃアなし、西国の又者が攻め込んで来たわけでもなし、天保の飢饉がブリ返して来たというわけでもないのに、もう食物でガツガツしてこのザマだ、一つには江戸っ子の下落、一つには政治向の堕落、江戸の台閣には人間がいねえのかなあ」
六十七
こういう余憤に駆《か》られながら、神尾主膳主従は、昌平橋高札場のところまで来て見ると、橋のたもとから引廻し蕎麦《そば》に至るまで、また、人だかり、人騒ぎが穏かでありません。
今度は、広小路の時のように一列は作らないが、無数の人がかたまって、押し合い、へし合い、後なるは前なるを引戻し、横から来るのは突きのけ押し倒し、襟髪を引っぱるもの、足もとをさらおうとする者、前なるは必死で、しがみついて放すまいとする、その事の体《てい》が平常ではありませんから、神尾が立ちどまって、篤と見定めると、彼等が押し合い、へし合いしている中央に、一台の馬車があるのであります。
その一台の馬車を中心にして、これらの群集が、押し合い、へし合い、なぐり合いをしているのだということがわかりました。つまり我勝ちにあの馬車に乗ろうとして、押し合い、へし合い、もみ立てているのだということがわかりました。
馬車といっても、バスといっても、その頃はまだ珍しいものでありました。その当時に於ては、まだ、バスというものも、馬車というものもなかったから、神尾主膳には、バスも馬車もわからない。なんでみんなが、あれを取りまいてこんなに騒いでいるのか、それがわからない。ことに、さいぜん食傷新道で見た行列は、おさんどんや、山猿連のようだが、これは見ていると、しかるべき身上の奴が多い。町人では大尽株《だいじんかぶ》、一党の頭株といったような連中までが、あの通り、血眼《ちまなこ》になって取っつき引っついている、見られた図ではない。
それをまた、世間知りの渡り仲間が説明してくれました。
つまり、このごろ「馬車」というものを流行《はや》らせた奴がある、やっぱり毛唐かぶれで、あっちから見て来たやつの猿真似なんでがんしょうが、ごらんの通り、大八車の上へ四本柱を押立て、ズックで屋根を仕かけ、中へ桟敷を立て込んで、早く言ってみればそれ、船に屋形船というのがありまさあ、あの伝を馬で行っただけのもので、屋形車といったもんでがんしょう、それを馬で引かせてトット、トットと走らせ、一人前おいくら、先様《せんさま》お代りという仕組みで席料を取る、それが面白いと言って、流行物《はやりもの》になり、われ乗り遅れじと、あの通りの大繁昌。
ちぇッ! これは食い物とは違うが、先を争ってガツガツの醜態は甲乙なし!
かく正面から、乗り遅れまじの血眼の大手のほかに、ひそかに裏へ廻って、御者に袖の下をつかって、早くも席に納まり返っている奴がある、あいつらの得意げな面《つら》を見ろ、ふんぞり返って幅を取って、親類の奴や、おべっかの奴を引立てて、納まり込んでいるあいつらの面を見ろ、どんどん焼の場合と違って、こいつらが、みな相当身分のありげな奴だけに一層あさましい、こいつら、やっぱり場違いの江戸っ子だろう、いかに下落したからといって、本場の江戸っ子に、あんな奴がありっこはない。
時勢は、どうか知らないが、お膝元のこの醜態はどうだ。
神尾主膳の面は、赤怒から白怒に変って行くもののようであります。
六十八
昌平橋を渡って姫稲荷《ひめいなり》のところへ来ると、そこにまた人だかりがあります。見ると願人坊主《がんにんぼうず》がチョボクレをうたっている。
本来、願人坊主はチョボクレを語るべきものではない。これは東叡山の配下で、寒い朝でも赤裸で、とうとうと言って人の門《かど》に立って銭貰《ぜにもら》いをするのだが、無芸と無頼とを以て聞えている。どうかすると謎々《なぞなぞ》のようなものを持って来るのもある。一文人形を並べて、これはこれでも王子の稲荷の大明神、色は白くも黒助稲荷なぞと出鱈目《でたらめ》を言って、一文人形を二三十も並べて、いちいち名前をくっつけて銭貰いをすることなんぞは、芸ある方のうちだが、この願人坊主は、能弁にチョボクレを唱えているところを見ると、願人坊主としては知能のある方だと思って、暫く耳を傾けていたが、その文句に何ぞ思い当ることがあると覚しく、一くさり終ると、渡り仲間を使にやって、そのチョボクレの願人坊主を附近の縄のれんに招き寄せました。
神尾主膳は、件《くだん》の願人坊主を縄のれんへ連れ込んで、これに一杯飲ませ、
「さて、只今、その方が姫稲荷で唄ったチョボクレを、もう一遍ここで唄ってくれ、いくら長くてもかまわん、初端《しょっぱな》から終りまで唄って聞かせてくれ」
「お耳ざわりで恐れ入りました、どうか悪《あ》しからず御勘弁なすっていただきてえもんでござんす」
「勘弁はあるまい、その方も商売で唄っているのだろう、それが商売で、つまり食うと食わぬの境だから、それで唄っているのだろう」
「御意《ぎょい》の通りにございます、しがねえ商売でございますが、これも意気地なしの身過ぎ世過ぎ、致し方ぁございません」
「お前を叱っているのじゃないぞ、後学のために一つ聞いて置きたいのだ、さいぜんの立聞きで、よっぽど面白いと思ったが、忙がしくて追いかけきれない、ここで改めてゆっくり一つ聞かせてもらいたいのだ」
「唄えとおっしゃられると、これが商売でござんすから、唄わねえとは申し上げませんが、なにぶん作が作でございますから」
「誰の作だ」
「ええ、その作者てえのがわからねえんでげすよ、奥坊主のうちに作者があるんだそうでげすが、その奥坊主の中の誰の作でござんすか、わっしどもにゃ、ちっともわからねえんでげす、ただ、当時、こういうのが流行《はや》っているから唄え、受けるぜ、儲《もう》かるぜ、と仲間が伝えてくれるもんでげすから、その口真似をやっているだけのもんでげす、文句がよく出来ておりましたからって賞《ほ》めていただかなくてようがすが、もしまた誤って穏かならねえところがございましても、わしの罪ではございません」
「それはわかっている、なにも貴様の口占《くちうら》を引いて、罪に落そうなんぞというのじゃない、ただ、そういう唄を聞いていると、最も正直な時代の声が聞えるというわけだ、おべっかや、おてんたらと違って、言わんとするところを忌憚《きたん》なく正直に言っているから、それで時代の風向きもわかるし、政治向の参考にもなるというものだ、ただ、一つの学問として聞いて置きたいのだから、正直に唄え」
「左様な思召《おぼしめ》しでござんすなら、一番、腮《あご》に撚《より》をかけてお聞きに入れやしょうかな」
願人坊主はようやく酔いも廻って、いい気になり、ことにこの殿様は、話がわかってらっしゃる、気前もよろしくてらっしゃる、お聞咎《ききとが》めでお調べの筋と来るんじゃなし、学問のために聞いて置きてえとおっしゃるんだから、ここは一番、願人坊主の腮の見せどころ、いや咽喉の聞かせどころと舌なめずり、咳払いよろしくあって、樽床几《たるしょうぎ》を宙に浮かせて――
お聞きに入れます「当世よくばり武士」チョボクレ始まりさよ……
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そもそもこのたび
京都の騒動
聞いてもくんねえ
長州征伐|咽喉元《のどもと》過ぎれば
熱さを忘れたたわけの青公家《あおくげ》
歌舞伎芝居のとったりめかして
攘夷攘夷とお先まっくら
おのが身を焼く火攻めの辛苦も
とんぼの鉢巻、向うが見えない
山気《やまき》でやらかす王政復古も
天下の諸侯に綸旨《りんじ》のなンのと
勿体ないぞえ
神にひとしき尊いお方の
勅書を名にして
言いたい三昧《ざんまい》
我が田へ水引く阿曲《あきょく》の小人
トドの詰りは首がないぞえ
それに諂《へつら》う末社の奴原《やつばら》
得手《えて》に帆揚げる四藩の奸物《かんぶつ》
隅の方からソロソロ這《は》い出し
濡手で粟取るあわてた根性
眉に八の字、青筋|出《いだ》して
向う鉢巻、すりこ木かかえて
威張ったとッても
天下の諸侯はなかなか服さぬ
足元あかるいうちこそ幸い
お国土産の芋でもくらって
屁《へ》でもこき出しひッたらよかろう
おらが親分お気が好過ぎる
自分の政事を一から十まで
取り上げられても黙っているのか
おめえはそれでもいいかは知らぬが
冥途《めいど》にいなさる神祖に対して
なンと言いわけしなさるつもりだ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
二百余年の社稷《しゃしょく》の大業
人手に渡して済むか済まぬか
わからぬながらも積ってみなさい
一朝一夕、骨も折らずに
取ッたか見たかの天下じゃないぞえ
七ツの歳から駿河《するが》の人質
数年の辛苦も臣下の忠義に
ようようお家にお帰りなさると
門徒の争乱
大高城内、兵糧運びの
三方《みかた》ヶ原《はら》には一騎の脱走
武田北条、左右に引受け
孤立の接戦、数ヶ度の敗軍
つくづく思えば涙がこぼれる
小牧山なり、関ヶ原なり
大阪御陣も、眉に火のつく火急の接戦
夏は炎天
兜《かぶと》の上から照りつけられても
水も呑めない
冬は寒気が肌《はだえ》を通して
霜をいただき兜の緒を締め
昼夜を分たぬ艱難辛苦と
共に積ッた七十有余の歳になっても
肉さえ食《くら》わず
麁食《そしい》に水呑み
昔を忘れず
肱《ひじ》を枕に山野に起き臥《ふ》し
それに従う臣下も同様
こんな憂目をなされた天下を
いかに気楽なお人だとッても
熨斗《のし》をはりつけ進上申すと
渡す間抜けが唐《から》にもあろうか
これも奸賊四藩の為すこと
腕を捲《まく》ッてやっきと気を張り
ピシピシやらかせ、しっかりしなせえ
馬に鞍置き、鞭を加えて
ノンノン出かけろ
譜代恩顧の諸侯もあるぞえ
チャカポコ チャカポコ
チャカポコ チャカポコ
安芸《あき》のおじさん、どうしたものだよ
お前は当家のお聟《むこ》じゃないかえ
いわば一門同様なお方が
長州なんどのお先に使われ
狐になるとは呆《あき》れたものだよ
四十二万のお高はどうした
妾《めかけ》にばっかり入れあげたのか
譜代恩顧の郎党励まし
一手に引受け長州討ったら
少しは先祖へ言いわけ立つベイ
加賀さん、どうした
お前もやっぱりお聟じゃないかえ
今は息子のお代といえども
しッかりしなさい
百万以上の大きなお高を掌握しながら
豆でも食《くら》
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