五十五

 ここで、話が少し後戻りをして洛北岩倉村へ帰るのでありますが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵、宇治山田の米友、首《くび》っ枷《かせ》の一幕を見せられた献上隊は、呆気《あっけ》に取られて、これを追及することも忘れたのでありますが、その首っ枷の早いこと、軽便蒸汽もはだしの有様なので、みるみる姿を見失った後に、我を取戻したという有様です。
 しかし、怪我もこのくらいの程度ならばまず安心、やがて彼等は、苦笑と哄笑《こうしょう》とを禁ずることができません。そうして苦笑と哄笑の間に、銭拾いをはじめました。
 すなわち、宇治山田の米友公が、粒蒔《つぶまき》、散蒔《ばらまき》の曲芸を演じた名残《なご》りを、或いは道草の間より、樹木の枝の股より、石の地蔵のお水凹《みずくぼ》の蔭より掻《か》き集め、或いは三ぴん氏や、三下氏の額、頬、顋《あご》、たぶさの間から引っぺがし、抜き取り、それから最後に、優に半分は投げ残された袋に納めきるのが一仕事であります。
 この場だけの事情に於ては、この一行に相当の道理があるらしく、あえて米友の手から強奪を試みようとしたのにあるではなく、当然自分の隊に属すべきものを、不思議な男の手に発見したものですから、当然の要求のつもりで掛合ったのが原因でありましょう。ですから、献上隊の一行が暴行を働いたというわけではなく、かえって、事情を呑込まぬ米友の頑強が、非に落つる嫌いもあるにはあったのであります。しかしまた、献上隊の方でも、もう少し事を穏かに掛合って、少なくとも米友を首肯せしむるだけの理解を尽さなかったという落度《おちど》もあるにはあるでしょう。だが、こうなってみると、どちらも市が栄えたというもので、彼等は僅少の犠牲で原価を取戻し、こちらは少々の手わざ足芸でうまく要領を外したという取柄があるのであります。しかし献上隊の奴等は、今のあの小冠者のタンカがおかしかったり、その手練に舌を捲いたり、その口小言が絶えないのでありますが、なんにしても、銭を拾い集めるのが一仕事です。たとえ一枚でも天下の通宝を土に委《い》してはならないという護惜《ごしゃく》も手つだって、草の根をわけ、石の塊りを起して、収拾にかかっているところへ、戞々《かつかつ》と馬の蹄《ひづめ》の音をひびかせてこの場へ通りかかったものがあります。
 前のは、年の頃三十七八歳の威風ある偉丈夫、後ろのはまだ二十四五の一青年、二人ともに浪士ではなく、本格の、いずれかの藩の相当以上の利《き》け者らしいのが、馬上で颯爽《さっそう》としてここへ現われて来ましたが、献上隊の一行が路傍草間に銭を拾っているのを見て、
「何だ、何をしているのだ」
「なに、天下の宝を路傍に拾っているのか」
「ほほう、銭が降ったと見えるな、近ごろはエエじゃないかで天下にお札《ふだ》が降っている、ここばかり銭が降ったか」
 こんなことを言って、二人が英気凜々《えいきりんりん》として過ぎ行く後ろ姿を見ると、二人ともに、黒のゴロウの羽織に菅《すげ》の笠、いずれも丸に十の紋がついている。
 献上隊の一行が、いずれも銭拾いの手を休めて、いま過ぎ去った二人の武士の後ろ影を、つくづくとながめ、
「薩摩だな」
「うむ、あれは誰だか知ってるか」
「どうも、前のは薩摩の大久保市蔵らしいぜ」
「拙者も、そう思う、そうして、あとは長州の品川弥二ではないか」
「そうだ、たしかにそれに違いないぞ、薩長の注意人物が相携えて、岩倉三位訪問と出かけるからには、一嵐ありそうだ」
「だなあ、一番、様子を見てやろうじゃないか」
「見届けて土産物《みやげもの》にしようかなア」
 こう二人が言い合わせて、また腰をかがめて銭拾いの続演。
 これと引違いに、いま問題になった馬上の二人の武士。
 やっぱり、めざすところは岩倉三位邸の門でありました。
 そうして玄関にかかって言うことには、
「薩州の大久保でございます、岩倉三位は御在邸でございますか」
 その時に、玄関は開かず、中庭の枝折《しおり》が内からあいて、
「大久保君、よく来てくれた、まあこっちからお入り――」
と面《かお》を現わしたのは、さきつ頃、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が垣根越しに一眼見て、危なくこの威光にカッ飛ばされようとした御本人――即ち岩倉三位その人でありましょう。綾の小袖の着流しで、手に手頃な鍬《くわ》を持って現われたのは引続いての庭いじり、いまだに鍬が離せないものと見えます。
「今日は品川君を連れて参りました」
「あ、それは、それは」
と岩倉三位は改めて、ジロリと同行の品川弥二郎を見ました。この空気によって見ると、岩倉と大久保の間は入魂《じっこん》になっているが、品川は初対面であるらしい。特に大久保が今日、品川を帯同して、岩倉に紹介がてら推参したものと思われます。
 岩倉三位は鍬を杖にしたままで、まだ庭先に立っている。

         五十六

「天下の風雲をよそにして、菊を南山《なんざん》に採《と》るという趣があります、お羨《うらや》ましい境涯です」
と大久保が、岩倉三位の手ずから丹精の小庭と、その手にせる鍬を見て、こう言ってお世辞を申しますと、岩倉が、
「必ずしも左様な風流沙汰ではないよ、この鍬で、今その風雲のとばしりを少しばかり鎮《しず》めたところだ、あの小山を見給え」
と指しますから、庭の一隅を二人が見ると、そこにまだ土の香の新しい土饅頭《どまんじゅう》が一つ築かれてあるのであります。
「何ぞお囲いになりましたか」
「たった今、ここの玄関へ怪しげな壮士|体《てい》の者共が押しかけて、わしに献上と言って、玄関へ何か置きはなして行った、取調べてみると、人間の片腕が一本、まだ生々しいのが、三宝に載せて置いてある、不潔千万だから、今、それをここのところへ埋めたばっかりだ」
「何ですか、人間の片腕を三位のお玄関へ、それは物騒な奴があったものです」
「生首でなくてまだ幸い――ここへ埋めて念仏をしてやったところだ」
「何者の生腕《なまうで》でございますか」
「千種家《ちぐさけ》の賀川肇の生腕と、三宝の下に書いてあった」
「賀川の――ともかく、時勢とは言いながら、この山里の御閑居へまで、そういうことをする奴があるのだからなあ」
 大久保も感慨に耽《ふけ》ったが、品川の弥二が、ここで、また改めて岩倉三位の横顔をじっと見つめました。
 かくて二人は岩倉三位の案内を受けて、その居間に通されるのでありますが、品川弥二郎は、大久保と岩倉の後ろ影を見ながら大いに考えさせられているようです。
 やがて三人、奥の居間で密談となりました。まず、大久保から岩倉への品川の紹介があったことでしょう。それから、長州の人傑の近況が一くさり噂《うわさ》に上ったことでしょう。やがて順序を得て、今日の来訪の理由の眼目に進んで密談が酣《たけな》わになるほど、外間の窺知《きち》を許さないものがある。
 三人の対話は極めてひそかに、また長時間に亘《わた》って、容易に果つるとは思われません。洛北岩倉の秋日の昼は、閑の閑たるものであります。
 この小閑を利用して、少しく時代の知識の註釈のために、慶応三年という年に、この篇に関係ある当時の相当の人物のめぼしいところの年齢調べを行ってみたいのでありますが、順序の不同と、一両歳の出入りは御免|蒙《こうむ》って、次に少々列挙してみますと、
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勝安房    四十四歳
大村益次郎  四十五歳
岩倉具視   四十二歳
西郷隆盛   三十九歳
大久保利通  三十七歳
木戸孝允   三十三歳
三条実美   三十歳
高杉晋作   二十九歳
伊藤俊輔   二十六歳
品川弥二郎  二十五歳
坂本竜馬   三十三歳
山内容堂   四十歳
徳川慶喜   三十歳
島津久光   五十歳
毛利元徳   二十八歳
鍋島閑叟   五十四歳
小栗上野   四十一歳
近藤勇    三十四歳
土方歳三   三十三歳
松平容保   三十二歳
[#ここで字下げ終わり]
等々。

         五十七

 こうして、三傑が額を鳩《あつ》めて密談いよよ酣《たけな》わにして、いつ果つべしとも見えない時分、次の間から、恐る恐る三太夫の声として、
「申し上げます、只今、山科の骨董商《こっとうしょう》が参上仕りましたが、いかが取計らいましょうや」
「ははあ、来たそうだ、これへ通せ」
 岩倉も、大久保も、諒解して、いま来訪して来たという山科の骨董商なるものを、この密談の席へ入れるらしい。してみると、その骨董商なるものも、只者ではないことがわかります。只者であった日には、この密談の席へ通されるはずはないと思われるが、しかし、事実はかえって天下の志士でなく、郊外の骨董商であるから許されるのかも知れない。この時分、もはや密談は終って、おのおの好むところの書画骨董の余談にうつり、その潮時に出入りの骨董屋が来たというので、無雑作《むぞうさ》にお目通りを許されたものとも見える。まもなく、三太夫に導かれてこの席へ姿を現わした山科の骨董屋なるものを見ると、これが意外にも光仙林の不破の関守氏であろうとは……
 不破の関守氏というのは、前身が相当の曲者であってみると、さては、お銀様を説き立てて、名画名蹟の蒐集ぐらいでは芝居が仕足りない。洛北岩倉村へ集まる、この辺の役者を板にかけて、脚本の製作をたくらんでいるとすれば、こいつも大伴《おおとも》の黒主《くろぬし》に近いが、果して、さほどの大望を抱いて来たのか、或いは、山科の骨董商になりきって、このお邸《やしき》のお出入り商人たるを以て甘んじて御用伺いに来たものか、その辺はわからない。
 わからないと言えば、がんりき[#「がんりき」に傍点]のようなのぼせ者を煽《おだ》てて、この岩倉村に東西きっての大バクチがあるから行ってみろと、貸元までつとめて、がん[#「がん」に傍点]ちゃんが勢い込んでかけつけてみはみたが、事は以上示すところの如く、馬鹿をみたようなものであった。自身、ここまで出向いて来るくらいなら、何を苦しんで、がんりき[#「がんりき」に傍点]をああまでかついだのか、はなはだ解《げ》せないことです。
 いずれにしても、不破氏は、この席へ入ると同時に、平身低頭して、出入り御贔屓《ごひいき》の骨董屋たる腰の低いところを充分に表現いたしました。
 主人側の三人の会釈《えしゃく》を見ても、これは尊王憂国の志士の変形として受取っていない。ここまで引見の特権を与えた過分の町人としての待遇に過ぎないところを見ると、それで安心した。不破氏は大伴の黒主ではない。
「骨董屋、手順はどうだ、首尾よく進行しているか」
 岩倉三位からお言葉が下ると、不破氏は、頓首膝行《とんしゅしっこう》の形をもう一つ低くして、
「は、御意にござります、万事お申しつけ通りに、極めて内々《ないない》に取計らい仕りました、今日、現品を御持参と存じましたけれども、慎重の上にも慎重と存じまして、お見本だけ、これへ持参仕りました」
「では、これへ出して見せ給え」
「はい――」
 また後ろを顧みて膝行頓首をして、次の間に置据えた風呂敷を抱えて、また膝行頓首して、これを恭《うやうや》しく岩倉三位の前にさし置き、恐る恐る、結び目を解きにかかりました。
 岩倉も、大久保も、品川も、共にその風呂敷の中を無言で見入っている。
 風呂敷を解くと、中から出たものは、さのみ意外なものではありません。ただ、眼もきらびやかな大和錦《やまとにしき》、それから紅白の緞子《どんす》。一巻ずつそれを御丁寧に取揃《とりそろ》えて、いよいよ恭しく三位の前に推《お》し進めると、三位は座右から、あらかじめ備えられた一つの彩色図を出して、大久保に示し、
「玉松《たままつ》が作ってくれたこれが図面じゃ、よく引合わせ御覧になるがよろしい、寸法、式、模様、色合、誤りがあらば申し附けて訂正させるように」
 そこで、大久保は大和錦を取り上げて、二三尺ずつ引きほごしては、下なる彩色の図面と見比べる。そこへ品川弥二郎が首を突き出して、大久保の調べのあ
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