女王は、剣を以て人を殺すということをしない、血を見て飽くという手数を尽さない、けれども、人を殺して血を見るという性癖は一つです。その一念がようやく増長しつつあるように見受けられる。
 この女王様の第一の利刃《りじん》は軽蔑です。この女王は、ほとんどあらゆる現象に対して、この女王が発する最初の挨拶は軽蔑であって、最後の辞令も軽蔑でないということはない。いかなる種類の人でも、この女王の軽蔑に価しない人はなく、いかなる種類の物象でも、この女王の軽蔑を蒙《こうむ》らぬ物象はない。
 胆吹の山寨《さんさい》は、今や彼女の軽蔑のために吹き飛ばされてしまいました。自ら築いたものを、自ら軽蔑するのだから、これは手の附けようがありません。
 今や、第二の光仙林を造ってはや、これをも軽蔑せんとしている。国宝級、重美系の芸術も、ようやく彼女の軽蔑から逃れ難く、光悦を集めながら、はや光悦を軽蔑しきっている。
 物を見に行くというのは、彼女にあっては、物を軽蔑しに行くのです。意志と感情を発散せぬものに対してすらそれですから、悪呼悪吸、もしくは愚呼愚吸のほかの何ものでもない人間共の存在に対する軽蔑が、骨髄を埋めているのも、まさにその道理でしょう。
 今日この頃は「易」を軽蔑せんとして未《いま》だ成らず、「密教」を軽蔑せんとして、新たに発足をはじめたようなものです。
 醍醐《だいご》三宝院の庭を見て、この女は豊太閤を軽蔑せんとしました。
 甲州の人は、徳川家康を恐れない、我が信玄に十に九ツも勝味《かちみ》のなかった家康を軽蔑せんとする、家康を恐れない人は、秀吉の重んずべきを知ることも極めて浅いのであります。徳川家康という人が、武田信玄に十に九ツまで勝味のなかった人であることを知っている甲州人は、その秀吉の唯一の勝利者としての、徳川家康を見ている。家康に勝味のない秀吉は、それに圧倒的な信玄より遥《はる》かに強きことを得ない。且つまた、信長という人は、武田を亡ぼした人であるけれども、信玄存する限り、その武を用うることができなかったのみならず、その部下としての秀吉は、未だ曾《かつ》て甲州陣の心胆を寒からしめんにも、熱からしめんにも、甲州というものに対して、その武を用いた経験がないではないか。故に甲州の人は家康を恐れない以上に秀吉を恐れない、最初からこれらの軽蔑すべき所以《ゆえん》を知っている。さてまた、この暴女王に限って甲州そのものを軽蔑すべき所以を知っている。父祖伝統の甲斐の国、武田よりも古い家柄を軽蔑して、その富ともろともに振捨てて悔ゆることを知らない暴女王は、豊太閤そのものを怖れずして、まずこれが趣味を軽蔑せんとして、醍醐の庭を見に来たかのようにさえ疑われる。
 ただ一つこの暴女王が、容易《たやす》く軽蔑しかねているのが、現にいま住む山科の安朱《あんしゅ》の地点なのであります。
 この暴女王も山科の地形だけは、憎まんとして憎み得ないものがあるらしい。軽んぜんとして軽んじ難い愛着を残しているものか。これは或る意味では当然過ぎるほど当然で、人というものは、過去に対してと、未来に対しては、かなり強硬にあり得るもので、過去というものは、再び現在を追っかけては来ない、過去は、いかに苦しかったことも過去となれば、すなわち現在への強迫区域を離れている、これを追懐しようとも、これを軽蔑しようとも、その脅威のおそれはないのであります。未来は当然|来《きた》るべきものにしてからが、来らざる間は痛痒《つうよう》の感覚から離脱している。ただ現在だけは怖るべきです。人がもし現在の政治に反抗した日には、逆賊の取扱いを受けなければならないように、現在の住ましめられている地点を軽蔑しては、所払いの刑罰を受くることを覚悟しなければならぬ。いかに暴ならんがために暴を趣味とする女王といえども、現在の立脚点をだけは軽蔑し得られないという約束に縛られて、しかして山科という輪郭に暫し追従を試みているかというに、必ずしもそうではないのです。
 山科の地形が、甲州に似ている。山河襟帯《さんがきんたい》の中間に盆地を成すの形勢が、何となしに甲州一国を髣髴《ほうふつ》させるのが山科の風景である。山科を大きくして、その盆のくりがたをさらに深くしたのが即ち甲州であるとは言えるかも知れないが、すでに故郷の地形にあこがれを持たないこの女性が、改めてその雛形を珍なりとすべき理由はない。
「山科」という地が、おのずから一天地を成している。その整ったただずまいが、この女王のお気に召したらしい。山科十六郷はよく整った一国の形成を成している。京都の郊外の山科ではなく、京都に附属した山科でもなく、たとえ小規模ながらも、一天地を成しているところに山科の妙味がある。山科は小さき甲斐の国というよりも、小京都といった方が当るかも知れない。山河の形成が、僅かに十六郷を含めたなりで独立している。そうして、その独立が、お銀様の住むのにちょうど手頃である。胆吹は気象が少々荒びていた、ここの空気は淘《よな》げられている。できるならばこの山科全部をソックリ買いたい、これをソックリ買取って我が屋敷として住みたいと望み得るほど、この地形全体が少なくともこの女王にとって、手頃の地形を成していたからです。
 胆吹の女王となるよりも、山科の地主でありたい、そんなような愛着を、お銀様が山科そのものの地相に持ち得られたということが、即ち山科を軽蔑し易《やす》からずとする所以なのでありましょう。

         四十七

 胆吹の女王が、今や、山科の地主にまで脱皮しつつあるということを突きとめたのは、宇津木兵馬として、骨の折れることではありませんでした。
 自然、宇津木兵馬は、長浜から、この山科まで道を急ぎました。近江から山城は地つづき、山城の内にあって、山城以外に立つというべき山科は、近江の国からの取っつきであります。長浜から直行にして十余里の道、この間に、なんらの瘴煙蛮地《しょうえんばんち》はありません。
 兵馬が山科に来て、まず草鞋《わらじ》をぬいだのは、同じく大谷風呂でありました。
 それとなく探りを入れてみたが、案ずるがほどのものはなく、さらさらと解答が与えられます。
 あれは、三井さんのお嬢さんで、今度、この山科の安朱《あんしゅ》の光悦屋敷というのをお求めになりました。あれを地面、家屋敷ぐるみ、そっくり居抜きでお引取りになって、御家来方と一緒にお住いでございます、と明瞭に答えてくれる。三井さんのお嬢様、それは少し変だ、長浜では女賊の張本でもあるように言い、ここへ来ては三井さんのお嬢様呼ばわり。前のが誇張であったように、ここのは仮定であると、兵馬がさとります。つまり、三井さんのお嬢様と言ったのは、三井家にも匹敵するような大金持のお嬢様ということなので、この場合、三井家というのは大金持という代名詞に使用されているまでのこと、戸籍の如何《いかん》は問うところでないと、兵馬がさとりました。
 さて、その三井家のお嬢様の本当の戸籍であるが、それが知りたい、それを知るにはこの女中づれではダメだ、すでに金持のお嬢様だから、三井の名で呼びかけるほどの女だ、重ねて問いかえせば、では鴻池《こうのいけ》さんのお嬢様だっしゃろ、と答えるくらいが落ちであるから、ここでそれを糾明《きゅうめい》するわけにはいかないが、ナンとその三井家のお嬢様に、ちょっとでもいいからお目にかかってお話ができまいものか。
 そういうところからさぐりを入れてみると、それはダメでござります、とても気位の高いお嬢様で、めったな人とはお会いになりませぬ、極々《ごくごく》親しい間の御家来衆でなければ、決して人をお近づけになりませぬ、宿におりましても、御主人様でさえお顔を見たものはござりませぬ、朝も、晩も、頭巾を召してはずさないほどのお方でござりますから。
 なるほど、気むずかしいには気むずかしいらしいが、朝に晩に頭巾を被《かぶ》ってはずすという時がないということは、長浜の見方と相一致する。
 さて、それではぶしつけにおしかけてもダメだ、さりとてしかるべき紹介を求めるよすがなどが、この際あろうはずがない、どうしたものかと兵馬も迷いましたけれども、いずれにしても、相手は妖怪変化《ようかいへんげ》ではない、胆吹から大江山へ飛んだ女賊童子の一味でもないし、正体も居所もすっかりわかったのだからと、この上は手段を尽して、面と相向ってぶっつかるばかりだ、相手が人間であってみれば、難事であっても不可能事ではない、ということに確信を持たしめられたことは喜ばしい。
 なんの、暴女王の暴女王たる正体を知りさえすれば、兵馬には昔なじみの人、まして兵馬に対してはすくなからぬ同情者の一人であり、兵馬の行動に同情者であると共に、その行動に、好意の妨害を試みていたほどの強情もの。甲州の有野村の女王であることに、何の不思議もないのですが、人というものは迷う時は方寸も千里の闇に似て、闇の中で摸索すればするほど正体を暗いところに押しやってしまう。この分で、正面から押せば押すほど遠くへ押しやるにきまっているが、どう考えてもこの際、押しの一手よりほかはないと兵馬の苦心焦慮した行き方も、また無理のないものがあります。光仙林の門のところまで来て、さて、これから堂々と門を叩いていいか、悪いかに惑いました。正面からぶっつかって、かえって後日のことこわしに落ちはしないか、ということも思案してみました。
 そこで、二の足を踏みながら、万一その女王が、外出でもする機会はないか、女王でないまでも、つかまえて物を尋ねるキッカケをつくってくれる御用聞のたぐいでもと、暫く、行きつ戻りつしてみたが、あいにく、人の出入りはほとんど打絶えた門、ほとんど開《あ》かずの門かと疑われるほどでしたが、「光仙林」とものした表札の、目立たぬけれども新しいことによって見ても、最近に人が住みつつあるということは、疑うべくもありません。胆吹は完全に人の住み捨てたところ、ここは人が有るべきところで、人のなきは、なきにあらずして留守なのだ。
 それも道理、この日、宇治山田の米友はがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵と、洛北岩倉村へ出向いて不在。
 不破の関守氏は、その隠宅でしきりに小物の表具を扱っている。もとより素人経師《しろうときょうじ》だが手際が凡ならず、しきりにかきあつめた小美術品の補綴《ほてい》修理を、自分の手にかけて、あれよこれよと繕いに余念がない。
 女王は、安朱谷《あんしゅだに》の雲深きところに鎮座ましまして、人をしてその片鱗をうかがわしめることをゆるさない。臨時かしずきの役を承っているお角さんは、供待部屋を己《おの》れが本拠として、すやすやと昼寝の夢をむさぼっているというていたらくですから、さしも広大な光悦屋敷が、さながら人あってなきが如くなるも道理です。
 兵馬は、それがために、あぐね果てて空しく門前を行きつ戻りつしているが、無人境の一得には、いくら行きつ戻りつしたからとて、べつだん怪しげな目を向ける人もない。それが有ってくれる方が、かえって所望だと言いたいくらい、取合われないのが物足らぬこと夥《おびただ》し。ここで思いきって門内に進入し、過日、胆吹山の廃墟で試みた手段をとろうかと決心して、さすがに思い煩う途端、初めて表門の四辺がザワついて、ひゅうと風を切って走り出したもののあることに目をみはり、
「あ!」
と兵馬も驚いたのは、熊にあらず、羆《ひぐま》にあらず、この国ではめったに見ることができない、というよりも、太古以来絶えて存在を許されていない種類の動物、唐国《からくに》の虎という獣に似たやつが一頭、まっしぐらに門の中からおどり出したからであります。
「虎!」
と叫んでみたが、虎でない。
「彪《ひょう》!」
と呼び直してみたが、彪でもない。全身|斑《まだら》にして、その身体は虎彪に匹敵して、しかもそれよりも勇んでいる。
 兵馬はそれに警戒を加えざるを得ません。心得は有り余るけれども、相手に覚えがない。一時はどうあしらっていいかに迷いましたけれども、虎はおろ
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