いて見ると、案外にも門は閉されて、全く人の気配がありません。
 推《お》せど、叩けど、おとなえども、応と答えるこだまはなく、全く無人の境と思いましたから、兵馬は、身軽く塀《へい》を乗越えて、上平館の境内へと侵入してみましたけれど、誰とて咎《とが》めるものはありません。
 はて、この分で見ると、ここははや解散したあとだ。つい近頃までは人の出入りの相当繁かった気配は充分ですけれど、現在は全く引払って、さらに人跡をとどめていないことは、小径に生ずる草、立てこめる気分の荒涼さでもよくわかります。およそ人の住むべき家に、人の住まないほど、すさまじい光景はないものの一つです。本来、未開の地には未開の処女性があって、人の官能を潔《いさぎよ》くするものですけれども、一旦、人が住んで、そのまま住まずとなって打棄てられた光景ほど、うたた物の荒涼と悲哀とを漂わせるものはありません。
 その気分に打たれた宇津木兵馬は、ははあ、もうこの一味は解散したのだな、人は解散したけれども、家屋敷はもとのまま、足を踏み入れるに従って、あちらに一棟、こちらに幾軒というほどに、建築の生《なま》なのに較べて、宏壮な規模が徒《いたず》らに住み残されてしまっている。さながら大本教と、ひとのみちの廃殿の中に入るようなものです。これほどの結構をし、これほどの屋敷を構えながら、かくも無惨に住み捨てるというのは冥利《みょうり》を知らぬ業だ、逆らって入るものは逆って出でる道理、大きく言えば、城春にして草青む、といったすさまじさが兵馬の胸を打つ。とにも、かくにも、行き尽すところまで侵入を企てよう、もし、その中に人臭いにおいでもあれば見つけ物、引っとらえて物を言わせてみようと、右に左に足を踏み入れたが、いよいよ深く行くにつれて、いよいよ荒涼なものです。絶対無人の境だということを確認しました。
 浜屋の若いお内儀《かみ》さんは、胆吹の女大将の話をして、まだこの館に一味が留まっているということを保証し、決して退却したとも、解散したとも言わなかったが、案外に来て見ればこの始末。
 してみると、あのお内儀さんは、一味が解散したことをまだ知らないのだ。あの辺の人まで伝達されないうちに散じてしまったとすれば、それはかなり最近でなければならぬのに、この荒れ方は、太古の昔のような面影がある。
 ほんとうに、人間の住むべき家に人間の住まないほど、荒れ方の早いものはない。人間の家には、人間が住むべきものだということを、兵馬は繰返してつくづくと感じました。
 さて一応見めぐり見きわめてみると、もう夕日が湖上の彼方《かなた》、比良、比叡の方と覚しきに落ちている。さて、今宵、兵馬は思いきって、この境内の内の一棟へ参入して、そこに宿を求めようとしました。そうしてこの幾棟かの家屋のうちの、最大の、最良の、御殿屋敷風なのを選んで、戸を排してみると厳しく釘づけになっているが、それを合点《がてん》の上で兵馬は、無理に押破って、御殿の中へ参入しました。
 相馬の古御所――といったような気分です。御簾《みす》がかかっており、蜘蛛《くも》の巣が張られてあり、畳は、ちゃんと高麗縁《こうらいべり》がしきつめたままだが、はや一種の廃気が湧いて、このまま置けばフケてしまう。
 兵馬はこの御殿の最も奥の間へ参入して、旅の荷物をそこに打ちおろし、その中から小提灯《こぢょうちん》、火打よろしく取り出して、早くも提灯に火を入れて、それをかざして間毎間毎を調べてみました。
 調度を取払ったというだけで、畳建具は依然として人の住める時のそのままで、取残された形跡は一つもありません。それに戸棚という戸棚、押入という押入のたぐい、いずれをも押してみても、がっちり錠《じょう》が下りている、そうでなければ釘附けです。
 そこで、兵馬が思うには、これは必ずしも解散とは言えないわい。いずれ家主は、そのうちここへ来て住むつもりか、そうでなければ出直して引取りに来るつもりなのだ。戸棚という戸棚、押入という押入が、この通りがっちりしているのは、いずれこの中が何物かで充実している証拠なのだ。してみると、これは空家とはいえない。人がいないだけで、まだ完全に住宅権が存在している。そこへ無断侵入を試みた自分というものは、家宅侵入の罪に問われる資格は充分ある。しかし、この場合、そういう遠慮は無用である。よろしく、覚悟の前、この戸棚のうちの一つ、最もめぼしいようなのを一つ押破ってみてやろうではないか。一つでたんのうできなければ、全部をいちいち破壊してみてやろうではないか。さし当り、今晩これに旅籠《はたご》を取るからには、夜の物が欲しい、なければないで済ませるが、すでにこの通り多数の物入があって、それをそのまま死蔵せしめて置くは、宝の山に手を空しうするも同じこと。誰を憚《はばか》る、要らぬ遠慮――
 と兵馬は決心して、その戸棚の中のめぼしい一つを、力を極めて押破ってみました。
 別に一ツ目小僧も出ては来なかった、これは確かに夜のもの、夜具《やぐ》蒲団《ふとん》の一団と認定のできた大包み、それを引出して解いて見ると、果してその通り、絹紬《きぬつむぎ》のまだ新しい夜具が現われる。
 とこうして、兵馬はついに、その新しい夜具を豊富に打着て、就眠の人となりました。
 働いているから眠りに落つることも早い。

         四十五

 肉体は疲れているから、眠りに落つることははやかったけれども、神《しん》は納まっていないから、睡眠が必ずしも安眠というわけにはゆかない。夜半、兵馬の胸を推《お》すものがある、うつつにながむれば、
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「無明道人俗名机竜之助之墓」
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 それは湖畔の木標ではなく、まだ切立ての一基の石塔であります。一方を見ると、同じような石塔が比翼の形に並んで、それに、[#「それに、」は底本では「それに」]
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「同行淡雪未開信女之墓」
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とある。
 この二つの石塔が、どことは知らぬ荒草離々たる裾野の中に、まだ石鑿《いしのみ》のあとあざやかに並んでいる。近づいて見ると、その後ろに墓守が二人、しきりに穴掘りをしている。傍らには布で巻いた二個の棺を据えて、しきりに墓穴を掘っている。それを覗《のぞ》き込もうとすると、墓と墓との間の丈なす尾花《おばな》苅萱《かるかや》の間から、一人の女性が現われて、その覆面の中から、凄い目をして、吃《きっ》と兵馬を睨《にら》みつけて、
「ここへ来てはいけません、あなた方の来るところではありません」
 その睨む眼の険しいこと、兵馬は、たしかに胆吹山の女賊の張本に相違ないと思いました。
 夢うつつは、その程度、それ以上、深刻にも精細にもなりませんでしたけれども、醒《さ》めた宇津木兵馬は、怖ろしいよりも、その暗示性の容易ならぬことに心が乱れました。
 かくて、いったん、破れた夢が、またあけ方まで無事に結び直されましたが、日の光、鶏の声が戸の隙から洩《も》るるを見て、兵馬は立って、一枚の雨戸を繰ると、満山の雪と見たのは僻目《ひがめ》、白いというよりは痛いほどの月の光で、まだあけたのではありません。
 それから、兵馬の頭に来た、何の拠《よ》るところとてはないけれど、ひしひしと迫る暗示は……
 机竜之助はもう死んでいるのではないか、死んでいるとすれば、確かに殺されて、この世に亡き人の数に入っている、彼を殺した人は何者、それは右の覆面の女賊のほかのものでありようはずはない、少なくともこの胆吹山まで来て、ここで竜之助は殺されてしまっているのだ。
 という暗示が兵馬の胸に食い入りました。湖中で心中というのは嘘だ、こしらえごとだ、でなければその女賊が、なんでわざわざ、まだ死骸も、水の物か陸の物かわからない先に、先走って供養塔などを立てるものか、それは世を欺く手管だ、本来は、竜之助はここで殺されている、その死を装わんがためにわざと湖上で死んだようにもてなしているのは、女賊の張本の芝居である。
 机竜之助は、すでに殺されているのだ、胆吹の山の女賊の手にかかって亡き人の数に入っている、それに相違ない、そう思われてならない、そうだとすれば哀れな話だ、彼に憐れみを加える余地は微塵《みじん》もないが、あれがこんなところで、女の手にかかって一命を果す、それも無惨や縊《くび》り殺された、なぶりものになって縊り殺されたとは何という悲惨な、そうして、何という醜態だ。
 そうだ、してみると、これより後の自分は、彼の亡骸《なきがら》をたずねて歩くより道がない。
 兵馬は、どうも、こんな暗示が胸いっぱいになって、竜之助ははや完全にこの世の人ではない、今後存在するとすれば、それは亡骸であり、亡霊である、これから自分の魂がそれを追いかけて歩くだけのものだ、力が抜けた、張合いが抜けた、というような気分で、兵馬の心が底知れず滅入《めい》って行くのであります。
 そうなると、夜が明けるや、一刻もここに留まっている気がなくなって、長浜まで一気に走り帰って、例の蛇《じゃ》の目《め》の浜屋へつくと、若いお内儀《かみ》さんが、なつかしそうな色を面にたたえて、よくまあ戻ってくれたという好意に溢《あふ》れて迎えてくれて、前夜と同じ部屋へ案内を受けました。
「いや、胆吹の女傑のあとをたずねて見ましたが、館《やかた》はあるが、人がいませんでした、人っ子ひとりおりませんでしたよ、解散したのでしょう。解散したとすれば、あの一味はドコへ行ったものでしょうか」
「多分、大江山でしょうと思いますが」
 またしても大時代――胆吹山でなければ大江山、兵馬はこれにも、げんなりせざるを得ません。
 さりとて、これから突留めなければならぬのは、机竜之助の身柄よりも、むしろ問題の女賊そのものの身性《みじょう》である。これは物が物だけに、存外早く手がかりがつくだろう。大江山というは、この女性のロマンがかりで、もっと近いところに、別生活に入りつつある。そういうことが想像されるものですから、更にここでその手がかりを求めなければならぬ、けれども、この若いお内儀さんにこれ以上を求むるのは無理だ、ということをさとり、さて、翌日は結束して再び昨日の臨湖の汀《みぎわ》に来て見ると、昨日ありしところのかの木標はなく、卒都婆もありません。砂の上には供養塔を立てたその痕跡さえなく、汀の波には卒都婆を弄《もてあそ》ぶ波の群れのみ昨日に変りありません。
 何者か抜き取って、木標は湖中に捨ててその行方《ゆくえ》を知らず、卒都婆は流れ流れて人の拾うものもなし。昨日まざまざと見た臨湖の景色が夢で、胆吹の夢に見たまぼろしに、かえって真実なりと欺かれる。兵馬はたよりなき感覚の幻滅を歎くことに堪えられない思いです。

         四十六

 机竜之助は胆吹の女王のために殺されたり、という宇津木兵馬の幻覚は、幻覚に似たる真実でないということはありません。
 ある意味では、竜之助が、女王の手に殺されているのは胆吹に始まったことではない。
 殺すということは、生命を奪うことで、生命を奪うということは、生命を亡くすることではないのです。単に生命の置きどころを変えたというにとどまるもので、かりに竜之助が暴女王の手にかかって殺されたりとすれば、それは女王が竜之助の生命を取って、自身の生命の中に置き換えたということの変名であって、竜之助そのものは、お銀様の中に生きている、お銀様は彼の肉体が無用になって、その生命の置場所になやんでいるのを見てとって、彼の生命を掴《つか》み取って、自分の体内に置き換えてやったという意味になるのですから、斯様《かよう》な殺し方は慈悲心の一種でさえある。形骸としての机竜之助が、柳は緑、花は紅の里を、いかなる形式でさまよい歩こうとも、それは夢遊病者の行動を、映し絵としてながめるだけのもので、彼の真の生命は、他のところに置き換えられて生きている。今後のお銀様は即ち竜之助であり、竜之助の更生が更にお銀様でないとは誰がいう。
 今や、お銀様の存在は一つの恐怖です。この
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