の式目が土台になっている、あの貞永式目《じょうえいしきもく》というのが深く人心に染《し》み込んでいるものであり、なにもわざわざアクドイ新体制を作って民を惑わすがものはない、この辺をよく注意したものさ」
「東照宮の如きも、駿府に隠居をされた後でも、ただ、じーっとして城内に引籠《ひきこも》っていられたわけではない、駿府の近傍の庄屋とか、古老とかいうのを集めては、碁の会を催して、輪番にそれらの人々の家へ碁を打ちに行かれたものだ。あの辺の旧家には、東照宮が来て碁を打たれた座敷だというのがいまだに残っているよ。道楽で碁を打つんじゃない、ああしているうちに、偽らざる民情が聞けるからだ」
「日本国中で民政のよく行届いたところは、まず甲州と、尾州と、小田原の三カ所だろうよ、信玄や、信長や、早雲の遺徳はまだこの三カ所の人民に慕われているらしい」
「信長という男は、さすがに天下に大望を持っていただけあって、民政のことには深く意を用いて、租税を軽くし、民力を養い、大いに武を天下に用うるの実力を蓄えたと見える、今日、尾州に行ってよく吟味してみなさい、当時の善政良法が、今なお歴々として残っているから」
「信玄が
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